2019年11月20日、演劇界に激震が走っています。アルベール・カミュの傑作戯曲『カリギュラ』が、栗山民也氏の演出と菅田将暉さんの主演により、新国立劇場で鮮烈な幕を開けました。「異邦人」で知られるカミュは、実は自ら劇団を率いた演劇人でもあります。彼は人間の内面にある不可解な衝動やその圧倒的な威力を、生身の身体を通じて表現することにこだわったのでしょう。
ローマ帝国の若き暴君を描いた本作は、単なる歴史劇に留まりません。愛する妹の死をきっかけに、世界が「不条理(道理にかなわないこと)」であると悟ったカリギュラは、徹底的な破壊と暴政に突き進みます。SNS上では、主演の菅田さんが放つ圧倒的な熱量と、その危ういまでの美しさに「一瞬も目が離せない」「魂を削るような演技」といった絶賛の声が溢れかえっています。
菅田将暉さんは、中性的で妖精のような透明感を持ちながら、底知れぬ虚無感(ニヒリズム)を見事に体現しています。哲学的な難解なセリフの一つひとつと真っ向から向き合う彼の姿勢は、観客に「今、ここにカリギュラが生きている」と確信させるに十分でしょう。倒錯した快楽と陶酔感、そして痛々しいほどの孤独を抱えたその姿には、有無を言わせぬ身体的な魅力が宿っています。
現代の「自分ファースト」を射抜くカミュの鋭い問いかけ
劇中で繰り広げられる政策は、財産の没収や臣下の妻の略奪など、一見すれば狂気の沙汰です。しかし、その根底には偽善を容赦なく突く「真理」が隠されています。これは現代における「自分ファースト」な政治姿勢や、不寛容な社会構造に通じるものがあるのではないでしょうか。私は、この舞台が描く恐怖の本質は、誰もが抱きうる「忖度」という心理に潜んでいると感じてやみません。
舞台美術も圧巻の一言に尽きます。二村周作氏による巨大な角のような柱が並ぶ空間に、勝柴次朗氏の繊細な照明と金子飛鳥氏の音楽が溶け合い、極限の緊張感を生み出しています。その光景はまるで、光と影のコントラストが激しいカラヴァッジョの名画を彷彿とさせます。水面(床面)を見つめるカリギュラの姿は、自己愛が肥大した現代人の病理を映し出す鏡のようです。
半身を晒してまで見せ物となるカリギュラの幼児性は、なぜか私たちの心を強く引きつけて離しません。そこには不寛容な社会に対する、ある種の潔癖な輝きすら感じられるからです。秋山菜津子さんら実力派キャストが脇を固めるこの公演は、2019年11月24日まで上演されます。カミュが現代に投げかけた「人間の尊厳」を巡る問いを、ぜひ劇場で受け止めてみてください。
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