2019年11月24日、カトリック教会の最高指導者であるローマ教皇フランシスコが、被爆地である長崎と広島を訪れました。教皇の来日は1981年のヨハネ・パウロ2世以来、実に38年ぶりの快挙となります。この歴史的な一日、被爆地は深い祈りと、核兵器廃絶に向けた力強い決意に包まれました。SNS上では「パパ様(教皇の親愛を込めた呼称)の言葉が胸に刺さる」「平和への勇気をもらった」といった感動の声が次々と投稿され、世界中の人々がこの巡礼の様子を固唾をのんで見守っています。
午前10時過ぎ、激しい雨と雷が鳴り響く中、教皇は長崎市の爆心地公園に降り立ちました。過酷な天候すらも、悲劇の歴史を象徴しているかのようです。ここで教皇は、原爆落下中心地碑に花を手向け、静かに黙とうを捧げました。教皇は長崎を「核兵器がもたらす悲劇の証人」と呼び、軍拡競争に費やされる膨大な資源を、本来救われるべき人々や環境保全に充てない現状を「途方もないテロ行為」と厳しく断じ、核兵器のない世界の実現は単なる理想ではなく「可能であり、不可欠なものだ」と力強く宣言したのです。
広島の地で語られた「核抑止力」への決別と倫理
同日の午後6時40分ごろ、舞台は広島市の平和記念公園へと移りました。夕闇が迫る中、約2000人の市民が教皇を温かく迎え入れます。教皇はここで、戦争のために原子力を利用すること自体が、現代において「犯罪以外の何物でもない」という極めて強い表現を用いました。これは、核兵器を持つことで相手の攻撃を思いとどまらせるという「核抑止力」の考え方を真っ向から否定するものです。真の平和を築くためには、武力に頼らない「非武装の平和」こそが唯一の道であると、教皇は世界中のリーダーたちに突きつけました。
教皇のスピーチで印象的だったのは、「思い出し、共に歩み、守ること」という3つの指針です。これは過去の惨劇を風化させず、犠牲者の痛みを感じ、未来の世代のために平和を維持し続けるという、私たち一人ひとりに課せられた責任を意味しています。教皇という立場から、これほどまでに踏み込んだ「非核」への言及があったことは、政治的な停滞が続く核軍縮問題において、大きな転換点になるのではないでしょうか。単なる宗教的儀礼に留まらない、人類の生存をかけた切実なメッセージが、広島の夜空に響き渡りました。
翌日の2019年11月25日には、東京にて東日本大震災の被災者との面会や、天皇陛下、首相との会談も予定されています。長崎と広島で示された「不戦」と「慈愛」の精神は、日本中、そして世界中へと波及していくことでしょう。編集者として、私は今回の訪問が単なるニュースに終わらず、私たち一人ひとりが「平和のために何ができるか」を問い直す契機になることを切に願います。核兵器という脅威のない未来を創ることは、もはや選択肢ではなく、現代に生きる私たちの義務と言えるのかもしれません。
コメント