2019年11月24日、歴史的な一日が幕を開けました。カトリック教会の最高指導者であるローマ教皇フランシスコが、被爆地である長崎と広島を訪れます。このニュースはSNSでも大きな注目を集めており、「平和への強いメッセージを期待したい」「歴史的な転換点になるのでは」といった期待の声が数多く寄せられています。今回の訪問は、単なる外交儀礼ではなく、深い悲しみと信仰の歴史を背負った人々にとって、魂を揺さぶる再会の時でもあるのです。
長崎の地には、江戸時代から続く激しい弾圧を耐え抜き、人知れず信仰を守り続けた「潜伏キリシタン」の歴史が息づいています。かつて私が長崎で出会った深堀さんや片岡さんといった方々は、その誇り高き子孫でした。私たちが学校の教科書で記号的に学ぶ「禁教政策」という言葉の裏側には、彼らの先祖が命を懸けて守り抜いた切実な信仰のドラマが隠されています。それは、文字通り血と涙で綴られた、忘れてはならない日本の悲史と言えるでしょう。
そんな苦難の歴史を歩んできた信徒たちの末裔の一人が、浦上天主堂の近くで暮らす88歳の深堀繁美さんです。彼は1945年8月9日、爆心地から数キロほど離れた三菱重工長崎造船所で働いている最中に被爆しました。防空壕へ逃げ込んだその目に映ったのは、空を覆い尽くす巨大なキノコ雲でした。変わり果てた街を抜け、ようやく辿り着いた我が家で彼を待っていたのは、すでに息絶えていた姉たちの姿だったのです。
終戦直後の1945年11月、瓦礫の山となった旧天主堂の跡地で慰霊祭が執り行われました。そこで弔辞を述べたのが、『長崎の鐘』の著者としても高名な永井隆医師です。彼は、弾圧に耐え忍んだ聖地・浦上に原爆が投下された過酷な運命に対し、それが「神の摂理(神の意志による導き)」なのかと問いかけました。深堀さんは、その場にいた多くの人々がこらえきれずにむせび泣いていた光景を、今も鮮明に記憶しているそうです。
生き残った者の使命として語り継ぐ平和の願い
あれから74年という月日が流れましたが、被爆の傷跡が消えることはありません。深堀さんはかつて、自身の凄惨な体験を実の子供たちにさえ語ることはありませんでした。しかし、数年前から修学旅行生などへ向けて、先祖の苦難と戦争の悲劇を積極的に語り始めています。彼は、自分が生かされた理由を「生き残った者の使命」だと確信したのでしょう。過去の沈黙を破り、未来を担う世代にバトンを渡そうとするその姿には、深い感銘を覚えずにはいられません。
本日行われる長崎でのミサには、深堀さんも参列する予定です。教皇が発するであろう「核なき世界」への力強いメッセージは、核兵器という究極の暴力によって奪われた尊い命への鎮魂歌となるに違いありません。世界中に向けて平和を訴える絶好の機会であり、被爆都市は今、静かな祈りの空気に包まれています。SNS上でも「教皇の言葉が、核大国のリーダーたちの心に届いてほしい」という切実な願いが拡散され続けています。
個人的な意見を述べさせていただけるなら、私たちは深堀さんのような当事者の言葉を、単なる「過去の出来事」として受け取ってはいけないと感じます。キリシタンの弾圧から原爆投下まで、長崎が背負わされてきた「受難」の歴史を現代の私たちがどう解釈し、未来の平和に繋げていくかが問われているのです。教皇の訪日は、私たち日本人が自分たちの国の歴史と向き合い、平和の尊さを再確認するための、非常に重要な契機となるはずでしょう。
今この瞬間も、長崎と広島からは世界に向けて静かな、しかし力強い平和への願いが発信されています。かつての廃墟から立ち上がった人々の不屈の精神と、教皇の平和への祈りが共鳴するこの日は、後世に語り継がれる歴史的な1ページとなるでしょう。私たちはこの瞬間に立ち会っているという事実を胸に刻み、暴力や核の脅威のない世界をどのように築いていくべきか、改めて深く思考を巡らせる必要があるのではないでしょうか。
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