日本中が熱狂の渦に包まれた2019年のラグビーワールドカップ。屈強な男たちがぶつかり合う激しいプレーの裏側で、選手たちの安全を守り抜いたのが「マウスガード」という存在です。群馬県みなかみ町で歯科医院を営む片野勝司さんは、この器具の重要性を誰よりも早くから提唱してきました。単なる防具の枠を超え、選手のポテンシャルを引き出す鍵として注目を集めるマウスガードの第一人者に、今大きなスポットライトが当たっています。
片野さんは、旧新治村で代々続く歯科医院の3代目として1965年に誕生しました。青春時代は医師を目指していた時期もありましたが、故郷から歯科医療の灯を消してはならないという強い使命感から、歯科医師の道を志すことを決意されたそうです。東京歯科大学を卒業後、地域医療を支える傍らで彼が情熱を注ぎ始めたのが、スポーツ現場における口腔内の保護と、それに付随するパフォーマンス向上の研究でした。
マウスガードとは、顔面への衝撃から歯や唇を保護し、さらに「脳振盪(のうしんとう)」のリスクを軽減するために口内に装着するクッション状の器具を指します。脳振盪とは、頭部への衝撃で脳が揺さぶられ、意識障害や記憶の混乱を引き起こす深刻な症状です。高校ラグビーでは既に装着が義務付けられていますが、市販品を自分でお湯に浸けて調整するタイプでは、適合不全による違和感や、最悪の場合は首への負傷を招くリスクも否定できません。
SNS上でも「市販のマウスピースだと喋りにくいし、すぐ外れる」という悩みの声が多く見受けられます。こうした現状を打破すべく、片野さんは約10年前から地元の高校生に対し、オーダーメイド品の提供を開始しました。歯科医が精密な歯型を取り、熟練の歯科技工士が仕上げる本格的な仕様ながら、未来ある若者のために材料費のみで製作を請け負っています。この献身的な活動は、スポーツ界全体に大きな希望を与えているに違いありません。
モーグル上村愛子選手も信頼!世界と戦うアスリートの守護神
片野さんの卓越した技術は、すでに日本代表レベルのトップアスリートたちから絶大な信頼を寄せられています。2006年のトリノ五輪以前から、フリースタイルスキー・モーグルの日本代表チームを支え続けてきました。冬季五輪で5大会連続入賞という偉業を成し遂げた上村愛子さんも、彼の作るマウスガードを愛用した一人です。雪上の過酷な環境下で戦う選手たちに寄り添い、合宿にも同行して一人ひとりの口に最適な調整を施してきました。
現在は日本レスリング協会のメンバーとして、ワールドカップ出場選手らのサポートにも奔走されています。2020年の東京五輪でも救護スタッフとしての参加が決定しており、日本のメダルラッシュを影で支える存在として期待が高まるばかりです。噛み合わせが整うことで体の軸が安定し、運動能力のバランスが向上するという事実は、スポーツの常識を塗り替える可能性を秘めています。
私たちが日常で何気なく行っている「噛む」という動作が、実は全身の筋力や瞬発力に直結しているという視点は非常に興味深いものです。片野さんは今後、この知見を高齢者の転倒防止など、介護や福祉の分野にも応用したいと展望を語っています。一人の歯科医が抱く「守りたい」という純粋な願いが、スポーツの枠を超えて社会全体の健康寿命を延ばす力になる。その情熱のバトンは、今まさに多くの人々へと手渡されています。
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