福井県敦賀市の静かな集落で2019年11月17日、目を疑うような痛ましい事件が幕を開けました。一軒の住宅から、70代の男性と90代の夫婦という計3名の遺体が発見されたのです。この衝撃的な事態に、世間では「一体何が起きたのか」と動揺が広がっています。現場の状況から、家族を手にかけたとされるのは、長年この家を支えてきたはずの70代の妻でした。
逮捕された岸本政子容疑者は、夫である太喜雄さんと、その両親である芳雄さん、志のぶさんの首を絞めて殺害した疑いが持たれています。SNS上では「介護の苦しみは当事者にしか分からない」「誰か助けてあげられなかったのか」といった、加害者への非難よりも、追い詰められた末の悲劇を悼む声が数多く寄せられており、現代社会の歪みが浮き彫りになっています。
ひとりで背負い込んだ「多重介護」の重圧
今回の事件の背景には、高齢者が高齢者を介助する「老老介護」を超えた、「多重介護」という過酷な実態があったと考えられます。亡くなった志のぶさんは、食事や入浴などの一部に手助けが必要な「要介護1」の状態でした。また、芳雄さんも介護が必要になる一歩手前の「要支援2」という認定を受けており、二人は常に誰かの支えを必要としていたのです。
さらに、夫の太喜雄さんも数年前から足が不自由になっていたといいます。本来であれば支え合うべきパートナーまでもが介助の対象となり、岸本容疑者はたった一人で3人分の生活を背負い込むことになりました。専門用語でいう「多重介護」とは、このように複数の家族を同時にケアする状態を指し、肉体的・精神的な負荷が個人の限界を容易に超えてしまう危険を孕んでいます。
周囲の証言によれば、岸本容疑者は家族の送迎や食事の世話を献身的にこなす、非常に人当たりの良い女性だったそうです。しかし、2019年に入ってからは「しんどい」と漏らすようになり、周囲からはうつ状態にあるのではないかと心配されていました。介護のプロであるケアマネジャーが定期的に訪問していたものの、市への具体的な相談は届いておらず、彼女は独りで暗闇の中にいたのでしょう。
黙秘に転じた容疑者と消えぬ事件の謎
岸本容疑者は逮捕直後、「もう疲れた」と自身の高血圧や介護の苦労を吐露していましたが、その後は一転して黙秘を続けています。事件発生から親族に連絡するまで約5時間の空白があったことや、一人ずつ確実に首を絞めるという手法から、捜査当局は強い殺意があった可能性を指摘しています。2019年12月7日にも義父母への容疑で再逮捕される見通しですが、真相の解明は難航しています。
メディア編集者としての私の視点では、この事件を単なる「個人の犯罪」として片付けるべきではないと感じます。責任感が強く、周囲に弱音を吐けない善良な人ほど、介護という終わりの見えないトンネルで孤立しやすいのが現実です。地域のつながりや公的支援が機能していたはずの状況で、なぜ彼女が「死」を選ばざるを得なかったのか、私たちは真剣に向き合わねばなりません。
介護疲れが極限に達したとき、人は時として愛する家族を敵のように感じてしまうことがあります。今回の悲劇は、介護を家族の自己責任として押し付ける社会への警鐘ではないでしょうか。岸本容疑者の沈黙の裏には、言葉にできないほどの絶望が隠されている気がしてなりません。今後の捜査を通じて、この悲劇を繰り返さないための教訓が導き出されることを切に願います。
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