【2020年2月6日】拉致被害者・有本恵子さんの母、嘉代子さんが貫いた執念と無念の最期

2020年2月3日、北朝鮮による拉致被害者である有本恵子さんの母、有本嘉代子さんが94歳でこの世を去りました。死因は心不全でした。恵子さんは神戸市外国語大学に在学中、イギリスのロンドンへ語学留学していた1983年に、デンマークのコペンハーゲンを経由して拉致されたとされています。当時、恵子さんはまだ23歳という若さでした。

彼女が北朝鮮にいることが判明したのは、失踪から5年が経過した1988年のことでした。拉致被害者である石岡亨さんの実家に、石岡さんの手紙と共に恵子さんの写真や直筆書類が届けられたのです。絶望的な状況の中で、親たちが我が子の生存を確信した瞬間であり、ここから嘉代子さんと夫・明弘さんの長い闘いが始まりました。

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拉致問題解決への執念、全国を巡った母の歩み

嘉代子さんは夫と共に「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」、いわゆる家族会の一員として、愛娘の帰還を求め続けました。彼女たちが取り組んだ活動は多岐にわたり、全国各地での講演会や署名活動を通じて、拉致という非人道的な行為の卑劣さを訴え続けました。2004年には、自らの想いを込めた手記「恵子は必ず生きています」を出版し、社会へ協力を呼びかけました。

SNS上でもこの訃報に対し、「言葉を失う」「親御さんが生きて帰りを待っている姿が忘れられない」といった悲痛な声が相次いでいます。多くの国民が拉致問題の深刻さを改めて認識し、解決の遅れに対する憤りと共に、嘉代子さんの無念に思いを馳せているようです。まさに、拉致問題の解決は日本国民全体で解決すべき喫緊の課題であることを、改めて突きつけられた思いがします。

最近は体調を崩し入院していたという嘉代子さん。6日、夫の明弘さんは「救う会兵庫」を通じて「妻は力尽きてしまった。二人三脚で恵子を取り戻すために頑張ってきたが、今は気持ちの整理がつかない」と、絞り出すような胸の内を明かしました。残された家族の無念を思うと、一日も早い全被害者の救出を切に願わずにはいられません。

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