2016年に発生し、日本中に大きな衝撃を与えた相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」での殺傷事件から、2019年07月26日でちょうど3年の月日が流れました。19人もの尊い命が奪われたこの悲劇は、決して過去の出来事として風化させてはならない重い問いを私たちに投げかけ続けています。現在もなお、多くの人々がこの事件の背景にある根深い問題を見つめ直そうと活動しています。
元職員であり、現在は専修大学で講師を務める西角純志さんも、その一人です。西角さんは事件後、植松聖被告との面会を幾度も重ねるだけでなく、残された遺族の方々とも対話を続けてきました。現場を知る者として、そして教育に携わる者として、なぜこのような凄惨な事件が起きてしまったのかという検証作業を、一歩ずつ丁寧に進めていらっしゃる姿が印象的です。
「憎悪犯罪」の裏側に潜む偏見と向き合う
この事件を語る上で欠かせないキーワードが「憎悪犯罪(ヘイトクライム)」です。これは、人種や宗教、障害といった特定の属性を持つ個人や集団に対して、強い偏見や憎しみを持って行われる犯罪を指します。西角さんは、植松被告が抱く「特定の属性を攻撃対象とする論理」がどこから生まれたのか、対話を通じてその心の闇に迫ろうと試みておられます。
SNS上では、この3年という節目に際して「決して忘れてはいけない」「優生思想は今も形を変えて潜んでいるのではないか」といった、危機感を募らせる声が多く上がっています。一方で、被告の極端な主張に対して一部で同調するような危うい書き込みが見られることも事実であり、ネット社会における偏見の拡散を危惧する意見も少なくありません。こうした反応は、この事件が個人の犯行という枠を超えた、社会全体の病理であることを示唆しているようです。
私は編集者として、西角さんのような地道な検証活動こそが、再発防止への唯一の道だと確信しています。被告を「異質な存在」として切り捨てるのは容易ですが、それでは彼を突き動かした偏見の正体は見えてきません。私たちが無意識に抱いている「生産性」や「価値」という物差しが、誰かを排除する刃に変わる瞬間はないか。その内省こそが、憎しみの連鎖を断ち切る鍵となるはずです。
2019年07月26日の今日、私たちは改めて犠牲者の方々に祈りを捧げるとともに、誰もが等しく尊重される社会のあり方を考えなければなりません。偏見という名の霧を晴らすためには、対話を諦めず、他者の生を丸ごと受け入れる想像力が必要なのでしょう。西角さんが続ける検証の歩みが、いつかこの社会に寛容な光をもたらしてくれることを切に願ってやみません。
コメント