日常の輝きを五七五七七に。2019年11月の歌壇から学ぶ「心の揺らぎ」の切り取り方

ふとした瞬間に、心の琴線に触れる言葉に出会うことがあります。2019年11月30日の日本経済新聞・歌壇では、歌人の穂村弘さんが選んだ珠玉の短歌が、私たちの日常に潜む「違和感」や「愛おしさ」を鮮やかに描き出しました。これらの歌は、現代を生きる私たちが無意識に抱く感情を、わずか31音で見事に言語化しています。

例えば、野上卓さんの作品は、家族の「戒名」という重いテーマを扱いながら、それを一つも覚えていないという告白を通じて、故人が生前の名前のまま心に生き続けている事実を浮き彫りにしています。戒名とは、仏門に入った証として授けられる名前ですが、残された側にとっては、共に過ごした日々の名前こそが真実なのだという温かなメッセージが伝わってきます。

SNSでも「共感しすぎて切ない」と話題を呼びそうなのが、中山小雨さんの「犬が死ぬかどうかだけ教えて」という一首です。物語の結末を知りたくないという純粋な気持ちと、愛する存在が失われることへの耐えがたい不安が同居しています。ネタバレを避けつつも、心の安寧のために特定の情報だけを求める現代的な切実さが、読む者の胸を打ちます。

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過去の記憶と現代の静寂が交差する風景

また、井上優子さんは、かつて主流だった金属製の歯磨きチューブを折る父の姿を詠み、手触りまでもが伝わるような追憶を描きました。さらに片井俊二さんの作品では、ビジネスホテルの引き出しにある聖書が、孤独な夜に異教徒である自分を誘うという、都会の静寂と神秘性が交差する瞬間が切り取られています。非日常的な空間だからこそ芽生える、不思議な高揚感が表現されていますね。

私が個人的に最も惹かれたのは、杉本葉子さんの「階段を踏み外した一瞬」を詠んだ歌です。一段あるはずの階段がなかった時の、あの体が宙を泳ぐ感覚。選者の穂村さんが「死の瞬間のリハーサル」と評したように、偶然がもたらす一瞬の衝撃の中に、人の一生の重みが凝縮されているように感じられます。何気ない日常の躓きが、実は深い哲学へと繋がっていることに驚かされます。

短歌は、長い文章では伝えきれない「感情の断面」を、一瞬で読者に届ける力を持っています。2019年11月30日の誌面を飾ったこれらの作品は、どれもが私たちの日常を再発見させてくれる鏡のようです。言葉を紡ぐことで、見慣れた景色が全く別の表情を見せ始める。そんな表現の奥深さを、改めて噛みしめたいと感じました。

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