日本経済が激動の荒波に揉まれていた時代、ある一人のバンカーが毅然とした態度で巨大な組織を導きました。元東京三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)の頭取を務め、2019年11月15日に89歳でこの世を去った岸暁氏です。彼が残した「Noと言うのはトップの仕事である」という言葉は、現在のビジネスシーンにおいても、リーダーの本質を突く至言として語り継がれるべきものでしょう。
1998年に岸氏が頭取に就任した際、銀行業界を取り巻く環境はまさに逆風の真っ只中にありました。大手金融機関の相次ぐ破綻や、旧大蔵省(現在の財務省や金融庁の母体)に対する過剰な接待汚職事件、さらには「貸し渋り」への批判など、世間からの信頼は失墜していたのです。このような危機的状況下で、彼は人件費のカットや店舗の統廃合といった痛みを伴うリストラを、自らの責任で断行していきました。
SNSでは、彼の訃報に際して「これほど強い意志を持った銀行家はもう現れないかもしれない」といった敬意を表する声や、「冷徹に見えて実は情に厚い、真の武士道を感じる」といった書き込みが目立ちます。周囲が二の足を踏むような難題に対し、最終的な決断を下し、矢面に立つ。その姿は、組織を守るという強い使命感に満ちていました。私自身も、忖度が蔓延しやすい現代だからこそ、彼の「責任ある拒絶」の精神を重く受け止めています。
金融史に刻まれた「最大の拒絶」と自力再生への道
岸氏の経営判断において、最も象徴的なエピソードといえば、1999年3月に実施された公的資金による資本注入を辞退したことでしょう。「公的資金」とは、金融システムの崩壊を防ぐために国が税金を投入して銀行の資本を強化する仕組みですが、これを受けることは経営責任を問われ、実質的に国の管理下に入ることを意味します。周囲の反対を押し切り、東京三菱銀行だけがこの支援を見送るという独自の道を選んだのです。
当局との関係悪化を懸念するOBたちを説得し、彼は自力での資本増強を決意しました。1998年3月に業界全体を調整した経験を持ちながらも、安易に頼らない姿勢を貫いたのは、銀行の自律とプライドを優先したからに他なりません。本店の売却や、三菱グループ各社からの出資を募る2400億円規模の増資など、具体的かつ迅速な行動で、彼は市場や預金者からの信頼を見事に勝ち取ってみせました。
この孤高とも言える英断があったからこそ、その後の大規模な金融再編において、同行は主導権を握る有利な立場を築くことができたといえます。三毛兼承頭取(2019年当時)が語るように、岸氏は本来、大変な人情家でした。だからこそ、情に流されず、未来のために「No」を突きつけた瞬間の葛藤は計り知れません。信念を貫くことの難しさと、その先にある価値を、私たちは彼の生涯から学ぶことができるはずです。
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