三菱UFJの礎を築いた「統合の旗手」岸暁氏が死去。東京三菱銀行誕生を支えたその功績と歩み

日本の金融界を長きにわたって牽引し、現在の三菱UFJ銀行の土台を作り上げた巨星がまた一つ、静かにその幕を閉じました。元東京三菱銀行(現在の三菱UFJ銀行)の頭取や、全国銀行協会連合会の会長を歴任した岸暁(きし・さとる)氏が、2019年11月15日午後4時8分、腎不全のため都内の自宅で息を引き取りました。享年89歳。卓越した先見性と実行力で、激動の金融業界を渡り歩いた同氏の訃報に、多くの関係者が深い悲しみに包まれています。

岸氏は東京大学を卒業後、1953年に当時の三菱銀行へ入行しました。エリートが集う本部の企画部門でキャリアを積み上げ、1992年には副頭取という重責を担うことになります。彼のキャリアにおいて最も特筆すべきは、1996年に断行された旧東京銀行との大規模な合併ではないでしょうか。異なる組織文化を持つ二つの巨大銀行を一つにまとめるという、極めて困難な統合作業の陣頭指揮を執り、今日のメガバンク体制の先駆けとなる東京三菱銀行を誕生させたのです。

SNS上では、このニュースを受けて「今の三菱UFJがあるのは岸氏の決断があったからこそ」「金融界の一つの時代が終わった」といった、故人を偲ぶ声が相次いでいます。特に、1990年代後半の金融危機の最中で組織を導いた手腕を評価する意見が多く、彼が残した遺産の大きさが改めて浮き彫りとなりました。1998年には東京三菱銀行の頭取に就任し、さらに三菱信託銀行との共同持ち株会社設立を決定するなど、常に半歩先を見据えた戦略を打ち出し続けたのです。

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金融の枠を超えて日本経済を支えた「統合のプロフェッショナル」

「持ち株会社」という言葉は、今では一般的ですが、当時は複数の企業が傘下に入るための新しい経営体制として注目されていました。岸氏はこれを積極的に導入することで、銀行業務だけでなく信託などの幅広い金融サービスを一体化し、効率的な経営を実現しようと試みたのです。彼の活躍は銀行の枠に留まらず、経団連の副会長や日本銀行の参与、さらにはキリンホールディングスの社外取締役を務めるなど、日本経済全体の発展に寄与しました。

個人的な視点ではありますが、岸氏の強みは「変化を恐れない柔軟性」にあったと感じています。伝統ある三菱の看板を背負いながらも、前例のない合併や組織再編に挑む姿は、守りに入りがちな金融界において異彩を放っていました。彼が築いた「強い組織」というDNAは、現在のメガバンクの中にも確実に息づいているはずです。2019年11月22日現在、お別れの会の詳細は未定とのことですが、多くの教え子や関係者がその功績を語り継いでいくことでしょう。

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