2019年12月08日現在、大きな注目を集めている「桜を見る会」を巡る問題は、単なる政治的な議論に留まらず、日本の行政におけるデジタル化の課題を浮き彫りにしています。特に招待者名簿の取り扱いについては、現代の法的枠組みが急速に進むテクノロジーに追いついていない現状を露呈しました。爆発的に増え続けるデジタルデータを、歴史の証人である「公文書」としてどう定義し、守り抜くべきなのでしょうか。
内閣府の説明によれば、2019年04月に開催された会の名簿は同年05月09日に破棄され、電子データも同時に消去されたとのことです。しかし、その後の国会審議において、実は最大8週間にわたりバックアップデータが残存していた事実が判明しました。これに対しSNS上では、「消したはずのデータが残っているなら、それは破棄と言えるのか」といった疑問の声や、管理体制の甘さを指摘する厳しい意見が相次いでいます。
そもそも公文書管理法において、行政文書とは「職員が職務上で作成し、組織的に用いるもの」と定義されており、紙か電子データかを問いません。菅義偉官房長官は、今回の名簿は個人情報を含む膨大な量であるため、保存期間が「1年未満」の文書として扱ったと説明しています。ですが、短期間で消去して良いというルールが、検証が必要な重要データの「隠れみの」になっていないか、私たちは慎重に見極める必要があるでしょう。
バックアップは公文書か?シンクライアント化がもたらす新たな論争
政府は、サーバー上の元データを消去した時点で、たとえ予備の「バックアップデータ」が残っていても、それは行政文書には当たらないという解釈を示しています。バックアップとは、システム障害などの緊急時に備えて複製された「控え」のデータのことです。しかし、復元すれば元の内容が再現できる以上、それを「存在しないもの」として扱う論理には、デジタル時代の常識から見て大きな違和感を禁じ得ません。
特に内閣府は2019年01月から、端末側にデータを残さない「シンクライアント方式」を導入しています。これは情報を一括管理するサーバー側にのみデータを置く仕組みで、セキュリティ面では非常に優れています。しかし、サーバー管理を外部業者に委託するケースが増える中、誰がいつデータを消し、誰がバックアップを保持しているのかという境界線は、従来の紙ベースの法律では想定しきれない領域に達しています。
現在の公文書管理は、今なお約9割が紙を前提とした運用となっており、電子データの具体的な扱いについては各省庁の裁量に委ねられているのが実情です。私は、デジタル化を推進する一方で、不都合なデータを容易に消去できる仕組みを放置することは、民主主義の根幹を揺るがしかねない危うさを感じます。物理的な容量の限界があるとはいえ、透明性を確保するための明確な「デジタル・ガイドライン」の策定が急務です。
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