ソフトウエア開発のアステリア(旧インフォテリア)は、創業者の平野洋一郎氏が掲げる「ソフトで世界をつなぐ」という壮大なビジョンのもと、IT業界の最前線を走り続けています。同社は2018年3月、海外市場への本格展開を見据え、研究開発やM&A(合併・買収)のための資金調達を容易にするため、東証マザーズから東証一部へと市場を変更しました。これは、平野氏の「世界」への強いこだわりを示す、大きな一歩と言えるでしょう。
さらに、同年10月には、海外での存在感を高めることを目的に、創業以来の社名であった「インフォテリア」を現在の「アステリア」へと変更しています。社名変更は、似たような名前の企業が多く海外で埋没してしまうのを避けるための戦略です。平野氏は、学歴や社名といったこだわりさえも、目標達成のためには潔く捨てることを厭わない、常識にとらわれない真のリーダーシップを発揮しています。
平野氏の非凡なキャリアは、1983年に熊本大学工学部を中退したことから始まりました。大学のコンピューター授業が初歩的すぎると判断した平野氏は「時間の無駄」と感じ、入学の翌年には地元のパソコンショップに入社し、ソフト開発部門を立ち上げました。この決断力の早さと、既存の枠にとらわれない姿勢が、彼の成功の礎と言えるでしょう。
そこで開発された日本語ワープロソフトは、1984年の国内年間ベストセラーとなるほどの大ヒットを記録しました。まさに「日本一」の栄誉を手にしましたが、平野氏はこれをきっかけに、ショップの社長と決裂してしまいます。社長が既存ソフトの他機種への移植を望んだのに対し、平野氏は「新しい製品の開発」にこだわるという、技術者としての飽くなき探求心が衝突したためです。このエピソードからも、彼の常に前進し続ける姿勢が伺えます。
「日本一」を達成した平野氏が次に目指したのは「世界一」でした。1987年にソフトの世界最大手だった米ロータスの日本法人に入社します。ここで彼は、将来の独立を見据えて、あえて開発部門ではなくマーケティング部門を希望し、経営者としての能力を磨くことを決意しました。この先を見通す戦略眼は、非常に参考になる点でしょう。
そして1998年、平野氏はロータス時代の同僚である技術者、北原淑行氏とともにインフォテリアを創業します。彼らが注目したのが、異なる情報システム間のデータ連携を容易にする技術**「XML(Extensible Markup Language)」でした。これは、文章の構造を定義するためのデータ記述言語で、インターネットがさらに普及すればシステム間の連携が不可欠になると確信していた平野氏にとって、まさに追い求めるべき技術だったのです。
実は平野氏はロータス時代に、同社のグループウエアソフト「ノーツ」の仕様を公開し、他社製品との情報共有を可能にすべきだと提案した経験があります。しかし、「他社製品への乗り換えリスク」を理由に却下されてしまったのです。この挫折が、彼に「システム間の連携」というテーマへの確信を深めさせ、世界初の商用XML処理ソフトの開発へと駆り立てたと言えるでしょう。
会社設立の前後からXMLの研究に着手し、1999年には世界初の商用XML処理ソフトを出荷します。平野氏は、ソフト開発と並行して、国内外の投資家から積極的に資金を募り、2000年までに27億円もの資金を調達しました。「銀行に資金を寝かせておくことは許されない」という信念のもと、投資家に示した事業計画をすべて実行し、日米同時での事業立ち上げを目指して、同年4月にはボストンに拠点を設けています。
しかし、事業は順風満帆とはいきませんでした。人件費が大きく膨らんだにもかかわらず、収益がそれに追いつかず、さらにIT(情報技術)バブルの崩壊と、世界を震撼させた同時多発テロが立て続けに起きたことで、経営は危機的な状況に陥ります。2002年初めには、残り3カ月で資金が底をつくという瀬戸際に立たされたのです。
平野氏は、シリコンバレー型の「資金調達は投資家から」というスタイルを貫いていたため、銀行などからの借り入れは一切ありませんでした。このため、会社を畳んで再スタートするという選択肢も理論上はありましたが、彼は事業の継続を決断します。なぜなら、XMLのデータ連携ソフト「アステリア」**の開発が、あと半年で完了するというところまで来ていたからです。「これを世の中に出さずには終われな い」という強い使命感から、米国従業員約25名の全員と、日本の約70名のうち半数をリストラするという断腸の思いでコストを削減し、同年6月、ついに「アステリア」を出荷にこぎつけました。
常識を打ち破る価格戦略と「アステリア」の革新性
平野氏には「アステリア」を成功させる明確な勝算がありました。当時、海外のソフト会社が展開していたXMLデータ連携ソフトは、いずれも5000万円前後と非常に高額だったのです。平野氏は、競合製品の半額程度ではインパクトに欠けると判断し、「アステリア」の価格をなんと約500万円に設定しました。これは**「10分の1の価格で10倍売ればいい」という、常識を打ち破る大胆な価格戦略でした。
「アステリア」は、プログラミングなしでシステム連携の仕組みを構築できるという革新的な製品であったため、出荷当初は、かえって多くのシステム開発会社に敬遠されてしまいます。なぜなら、システム会社にとっては、プログラミングを伴う個別開発のほうが工数がかかり、1案件当たりの受注額が大きくなるからです。「こんなものを出されたら困る」といった声も上がったと言いますから、そのインパクトの大きさが分かります。
そこで平野氏は、販売戦略を転換し、まずはソニーや京セラなどのユーザー企業に対して直接販売することにしました。当時、XMLを用いたインターネットEDI(電子データ交換)**が企業間の取引で使われ始めており、「アステリア」の導入のしやすさが市場で高く評価されました。結果として販売パートナーも増え、「アステリア」の売り上げは一気に急伸したのです。これは、本当に良い製品は、たとえ既存のビジネスモデルに逆行しても、必ず市場に受け入れられるという証拠でしょう。
アステリアは、日本、米国、中国、シンガポール、英国の5極体制でソフトやサービスの開発・販売を進めており、平野氏は1か月の半分近くを海外で過ごすなど、まさに世界を股にかけて飛び回る多忙な日々を送っています。そして、2021年3月期には売上高50億円、営業利益10億円という高い中期経営計画の目標を掲げており、IoT(モノのインターネット)やブロックチェーン関連の製品が本格的に立ち上がるとともに、海外事業も成長軌道に乗ると予測している状況です。
平野氏は現在55歳で、ブロックチェーンの普及啓発・研究開発推進を目的とする業界団体の代表理事なども務めています。彼が幼少期に母親からもらった緑色のセーター以来、強いこだわりを持つという「緑色のモノ」を集める活動をライフワークとしているように、目標達成のためには、常に前だけを見てひたすら進み続け、過去や常識には囚われない彼の挑戦は、これからも続いていくことでしょう。
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