東南アジアの経済的要衝であるタイで、大きな政治的動きがありました。2019年6月5日、タイ国会は軍事政権のトップを務めてきたプラユット暫定首相を、新たな首相として選出しました。これは、長らく続いた軍事政権からの「民政復帰」という形を取りつつも、実質的にはこれまでの安定路線を継続するという国民と議会の選択と言えるでしょう。
今回の首相指名選挙は、上院250議席と下院500議席の全議員による投票で行われました。注目すべきは、親軍政党である「国民国家の力党」が、なんと19もの政党による連立で合意を取り付けたことです。これにより下院での過半数を確保し、さらに軍政が指名した上院議員全員の支持も得て、プラユット氏の首相就任が確実なものとなりました。
軍政下の経済回復と「中所得国のわな」
なぜ、強権的な軍事政権のトップが再び国のリーダーに選ばれたのでしょうか。その背景には、2014年のクーデター以降の実績があります。当時のタイは、タクシン元首相派と保守派の対立で国内が混乱し、経済も疲弊していました。しかし、軍政が全権を握って以降、政情は安定し、2014年には1%まで落ち込んでいた実質GDP成長率が、2018年には4.1%にまで回復したのです。
しかし、手放しで喜べる状況ではありません。ここでキーワードとなるのが「中所得国のわな」です。これは、新興国が低賃金を武器に成長した後、賃金上昇によって競争力を失い、先進国入りを前に成長が停滞してしまう現象を指します。現在のタイはまさにこの壁に直面しており、1人当たりのGDPは約7600ドルと、ライバルであるマレーシアに大きく水をあけられているのが現状です。
実際に、先進国からの投資は低迷しています。特に日本からの投資額は2017年時点で2014年比5割減、欧米に至っては6割減と激減しており、これはタイの民主化後退に対する懸念の表れとも取れます。アパレルなどの労働集約型産業が、より人件費の安いカンボジアなどの周辺国へ流出していることも、タイ経済にとって頭の痛い問題です。
「タイランド4.0」と新政権の課題
こうした状況を打破するため、軍政側も手をこまねいているわけではありません。「タイランド4.0」という産業高度化策を打ち出し、次世代自動車やロボット産業など、付加価値の高い分野への転換を図っています。バンコク東部の経済特区「東部経済回廊(EEC)」へのハイテク産業誘致や、TPP11への加盟にも前向きな姿勢を見せており、方向性としては間違っていないように見受けられます。
ネット上やSNSでは、今回の決定に対して様々な反応が見られます。「経済が安定しているから続投は妥当だ」「混乱が戻るよりはマシ」といった現実的な安定を歓迎する声がある一方で、「形式だけの選挙だ」「軍の影響力が残るなら本当の民主化ではない」といった批判的な意見も少なくありません。投資家やビジネス層からは、政策の継続性を評価する声も上がっています。
私個人の見解としては、今回の「続投」はタイ経済にとって諸刃の剣だと感じています。軍の影響力が残ることで短期的な治安や政策の安定は保たれるでしょう。しかし、19党もの連立政権は決して盤石ではありません。野党との攻防が激化し、重要な法案が通らないという事態になれば、軍政時代のようなスピード感ある政策実行は難しくなります。
真の課題は、形式上の民政復帰を果たしたタイが、国際社会からの信頼をどれだけ回復できるかにあります。外資を呼び込み、産業構造の転換を成功させるためには、強権的な手法ではなく、透明性のある政治運営が不可欠です。プラユット新政権が、複雑な連立のバランスを取りながら、タイを本当の意味での先進国へと導けるのか、その手腕が厳しく問われることになるでしょう。
コメント