✅未来へつなぐ教訓!宮崎・土呂久ヒ素公害の「克服」と環境教育の挑戦

宮崎県高千穂町の山深い土呂久(とろく)地区に、地区の歴史と教訓を次世代に伝える新たな取り組みが始まりました。ここはかつて、鉱山での亜ヒ酸(あひさん)製造に起因するヒ素公害という悲劇に見舞われた場所です。この公害は、農薬などの原料となる亜ヒ酸が1920年から1962年にかけて断続的に製造されたことで発生し、多くの住民が慢性ヒ素中毒症を発症し、水や土壌の深刻な汚染を引き起こしました。1973年には公害病に指定されたものの、水俣病やイタイイタイ病といった他の著名な公害に比べて、その歴史を知る人は少ないのが現状でしょう。

このような背景から、宮崎県は土呂久の歴史を「克服の物語」として次世代に伝え、この地を**「環境教育の場」として活用したい考えを示しています。その具体的な動きとして、2019年3月、県は地区内の5カ所に、土呂久の暮らしや歴史を学べる案内板を設置いたしました。案内板には、かつて公害の舞台となった亜ヒ焼き窯跡や鉱山跡といった場所だけでなく、美しい石垣の棚田や山岳信仰の歴史を伝えるお堂など、地域の豊かな文化や自然も紹介されています。

案内板の設置は、県が2017年度から進めてきた環境教育事業の一環です。県担当者は「若い世代を中心に、県内でも公害のことを知らない人が増えている」と語っており、記憶の風化を防ぐことが喫緊の課題となっているようです。これまでに、県内で公害の歴史を紹介するパネル展を開催したほか、教育用のDVDや日本語・英語のパンフレットも作成し、教育資源の充実に力を入れている様子がうかがえます。

【図・写真】土呂久地区の公民館前に設置された案内板を説明する作家の川原さん(2019年4月撮影)

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🍃美しい自然との共存と地域活性化への期待

他の多くの中山間地域と同様に、土呂久地区も過疎化や高齢化が進んでおり、空き家が目立ち始めています。そんな中で、畜産農家の佐藤和明さん(48)は「外から人が来てくれるのはうれしい」と歓迎の意を示し、「公害があったとは思えないほど美しくよみがえった土呂久を見てほしい」と、この取り組みが地区の活性化につながることに大きな期待を寄せていらっしゃいます。

一方で、この歴史を発信することによる風評被害を懸念する声も存在します。土呂久公民館の佐藤元生館長(63)は、環境教育の必要性は認めつつも、「公害でひどい所だったというような伝え方はしてほしくない」と、その発信方法への配慮を求めています。これは、長年の苦難を乗り越え、現在の美しい姿を取り戻した地域住民の切実な願いであり、発信側は細心の注意を払うべきでしょう。

長年被害者支援を続け、案内板作りにも協力した作家の川原一之さん(72)は、「自然と共存しながら公害を克服してきたからこそ、環境の大切さを実感することができる」と、土呂久の経験が持つ普遍的な価値を強調しています。川原さんはさらに、「ゆくゆくは土呂久を、豊かな文化や自然とともに公害の歴史も学ぶことができるフィールドミュージアムにしていきたい」という、壮大な夢を語ってくれました。

💡知られざる歴史:土呂久のヒ素公害とは

土呂久のヒ素公害は、1971年に地元の小学校教諭が告発したことで表面化し、1973年に公害病に指定されました。その後、患者の方々が1975年に最終鉱業権者の住友金属鉱山を提訴し、1990年に最高裁で和解が成立しています。この和解をもってしても、被害は長期間に及び、2019年3月時点では、慢性ヒ素中毒症と認定されたのは207人**(うち生存者は48人)に上っています。さらに、今でも毎年のように新たな患者が認定を受けているという事実が、この公害の深刻さと、影響の長期化を物語っています。

この歴史を学ぶことは、私たちが豊かな生活を追い求める中で、環境負荷をいかにして抑えるかという、現代社会における重要な問いへの答えを見つけるヒントになるのではないでしょうか。SNS上でも、「この公害について初めて知った」「教訓として語り継ぐべき」といった声が多く見られ、#環境問題 や #公害の歴史 といったハッシュタグとともに、土呂久の取り組みへの関心が高まっています。私は、土呂久が持つ「克服の物語」は、経済活動と環境保全の両立を考える上で、極めて価値のある生きた教材となると確信しています。

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