静岡県富士市に所在する富士市産業支援センター(f-Biz)でセンター長を務める小出宗昭氏は、中小企業の経営支援において、その類まれなる手腕から「カリスマ」として注目を集める存在です。2019年6月13日付の記事では、そんな小出氏の原点ともいえる幼少期から学生時代のエピソードが語られました。支援活動の根幹にあるのは、ご両親から学んだという「おせっかい」の精神と、他者の困難を自分のこととして捉える責任感ではないでしょうか。
特に父親は、親戚の子どもの就職の世話を、親よりも熱心になって動いて紹介するなど、非常におせっかい焼きな人柄でした。なぜそこまで他者のために尽力できるのかと、幼い小出氏は感心して見ていたそうです。また、親戚が交通事故の示談交渉に直面した際も、父親が間に入り、交渉を円満にまとめ上げたと言います。母親も同様に、他人の困り事に自分のことのように対応する姿を見せており、こうした両親の姿勢こそが、現在の小出氏の中小企業経営支援という仕事に強く通じていると感じていることでしょう。他社の問題解決には、文字通り「自分のこと」として深く考えることが不可欠なのです。
父親から学んだのは、そうした他人への思いやりだけではありません。地域を走る鉄道会社に勤めていた父親は、台風が近づくと、それがたとえ休日であろうと、昼夜を問わず「じゃあ」という一言を残し、ヘルメットをかぶって家を出ていったそうです。真夜中に暴風雨で雨戸が激しく揺れるような状況では、父親がいないことに心細さを感じたものの、それは地域にとって大切な仕事なのだと、幼心に理解していたことでしょう。この時の経験から、小出氏は責任感の重要さを深く学んだに違いありません。
また、父親からは社会問題に関心を持つよう教えられ、日頃から新聞を読むことを勧められていたそうです。その影響か、1968年に静岡県で発生した金嬉老(きんきろう)事件、すなわち在日韓国人による猟銃人質事件には、「世の中にこんな不条理なことがあるのか」と大きな衝撃を受けた記憶があると述べています。社会の動きを鋭く捉え、現状に対する問題意識を持つという姿勢は、現在の経営支援においても重要な視点となっているのではないでしょうか。
情熱を注いだクラシック音楽とロック:沼津東高校時代のエピソード
中学時代、小出氏は数人の友人から勧められたことをきっかけに、クラシック音楽を聴くことが趣味になりました。生まれて初めて聴いたのは、ドイツの作曲家ベートーヴェンによる「交響曲第3番」であり、特に「英雄(エロイカ)」の持つ荘厳な響きに、心を引き付けられたと言います。この曲は、1972年のミュンヘンオリンピックでパレスチナ武装組織によるイスラエル選手殺害という悲惨な事件が起きた際、現地で開かれた追悼式で第二楽章の「葬送行進曲」が流されたことでも知られています。親に頼み込んでクラシックレコードを買い集め、今でも自宅には500枚ものコレクションがあるそうです。
クラシック音楽だけでなく、ロックにも造詣が深く、特にローリング・ストーンズの熱心なファンでもあります。来日公演があれば、仕事の合間を縫って会場へ足を運ぶと言います。中高生時代に活躍していた彼らが、今なお現役で力強く活動を続ける姿を見ると、自分も「力がもらえる」ような気がすると語っていますね。世代を超えて活躍するアーティストたちのエネルギーが、小出氏の活動の原動力の一つになっているのかもしれません。
高校は、地域のトップレベルを誇る静岡県立沼津東高校に進学しました。この高校は、小説家の井上靖氏、ソニー会長を務めた大賀典雄氏、そしてジャーナリストの筑紫哲也氏など、著名な先輩を多く輩出しています。同級生には、小・中学生向けの歌を多く手掛けるシンガーソングライター、「ユズリン」こと中山譲氏がいたそうです。沼津東高校は、当時からフェンシングの強豪校としても知られており、現在は卒業生が地域の子どもたちへの普及活動を行うなど、スポーツを通じた地域貢献も行われているのが特徴でしょう。
しかし、地域の一番校に入学した小出氏でしたが、高校に入ってからは全く勉強をしなくなったといいます。当然、成績は急降下してしまいましたが、この経験から、「自分はお仕着せの勉強が性に合わない」ということが分かったそうです。この自己認識は、型にはまらない中小企業支援のあり方や、独自の経営手法を編み出す原動力につながっているのではないでしょうか。SNSでは、「小出さんのお父様のエピソードが熱い」「支援の根幹には利他精神があることがよく分かる」といった共感の声が多く見受けられます。小出氏の人を大切にする哲学こそが、多くのフォロワーを生み出し続けている理由だと考えられます。
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