2018年に東京都目黒区で発生し、日本中に大きな衝撃を与えた船戸結愛ちゃんの虐待死事件について、2019年09月03日に東京地裁で待望の初公判が開かれました。保護責任者遺棄致死の罪に問われている母親の優里被告は、法廷で起訴内容を全面的に認め、声を詰まらせる場面も見受けられたのです。幼い命が失われた背景には一体何があったのか、多くの人々がその推移を固唾を飲んで見守っています。
検察側は冒頭陳述において、結愛ちゃんが十分な食事を与えられないまま過酷な「しつけ」を強要されていた凄惨な実態を指摘しました。衰弱が誰の目にも明らかな状態であったにもかかわらず、発覚を恐れて医師の診察を受けさせなかった「不作為」が、死に直結したと厳しく糾弾しています。不作為とは、法的に義務付けられた行動をあえて行わないことを指し、今回のケースでは病院へ連れて行くという親の責任を放棄したことを意味するのでしょう。
「心理的支配」という見えない檻とSNSの悲痛な叫び
弁護側は今回の事件の背景に、夫である雄大被告による「心理的支配」が存在したと主張しました。これは恐怖やマインドコントロールによって、被害者が自分の意思で行動できなくなる精神的な拘束状態を指します。優里被告は、もし夫の指示に背けば自分や子供にさらなる報復が及ぶことを極限まで恐れていたと説明されました。家庭という密室内で、彼女自身もまた逃げ場を失っていたというのです。
SNS上ではこの公判を受け、「どんな理由があっても子供を守るのが母親ではないか」という厳しい批判が相次ぐ一方で、「DVの恐怖の中にいた人間が正常な判断を下すのは難しい」といった複雑な反応も広がっています。母親としての責任を問う声と、ドメスティック・バイオレンスの根深さを再認識する声が入り混じり、現代社会が抱える闇の深さを浮き彫りにしていると言えるでしょう。
私自身の見解としては、制度や法律の網の目をどう潜り抜けて悲劇が起きたのかを冷静に分析すべきだと考えます。母親の恐怖は決して否定できるものではありませんが、結愛ちゃんが残した「あしたはもっとできるようにするから」というノートの言葉を思うと、言葉にならない悲しみを感じずにはいられません。大人の事情や関係性の歪みの犠牲になるのは、常に抵抗する術を持たない小さな子供たちなのです。
今後は、優里被告がどの程度の意思決定権を持っていたのか、そして夫による支配がどこまで彼女の行動を縛っていたのかが裁判の大きな焦点となる見通しです。2019年09月03日から始まったこの公判を通じて、二度と同じような悲劇を繰り返さないための教訓が導き出されることを切に願います。社会全体で子供を守るための議論は、これからさらに加速していくことになるでしょう。
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