2019年10月05日現在、日本の各地で「空き家」や、持ち主が分からない「所有者不明土地」が深刻な社会問題として噴出しています。かつて土地は、持っているだけで価値が上がる「土地神話」の象徴でしたが、今や管理の行き届かない不動産が周囲に悪影響を及ぼす事態が目立ってきました。こうした現状に一石を投じるのが、「土地はだれのものか」研究会による一冊です。
SNS上では「親から相続した山や古い家をどうすればいいのか」「土地の権利が強すぎて、公共事業が進まないのはおかしい」といった切実な声が数多く上がっています。現代の日本では、一度手に入れた土地に対する「所有権」が非常に強力に保護されているのが特徴です。この権利の強さが、皮肉なことに土地の有効活用を妨げる大きな壁となっている事実は否めません。
江戸時代に学ぶ「土地の利用権」という柔軟な発想
本書が指摘する興味深い視点の一つに、江戸時代の土地制度が挙げられます。当時は現代のような絶対的な所有権ではなく、利用する権利としての側面が強かったとされています。つまり、土地を適切に管理・利用しないのであれば、その権利は制限されるという考え方が根底にありました。この歴史的な知恵は、放置された空き家が問題視される現代において、極めて重要な示唆を与えてくれるでしょう。
ここでいう「所有権」とは、対象物を自由に使用・収益・処分できる、法律で認められた排他的な権利を指します。一方、本書では海外の事例も引き合いに出し、公共の利益、すなわち「公益」とのバランスをどう取るべきかを模索しています。例えば、個人の権利を尊重しつつも、地域全体の環境維持や安全のために、一定の制約を課す仕組みは世界各地に存在しているのです。
私は、この「土地は公共の財産でもある」という意識の欠如こそが、現在の停滞を招いていると感じています。個人の財産権を守ることは法治国家の基本ですが、それがコミュニティの崩壊を招くのであれば、制度のアップデートは避けられないはずです。2019年10月05日の今、私たちは「所有」することの責任を改めて問い直すべきタイミングに来ているのではないでしょうか。
土地が世代を超えて引き継がれる中で、登記が放置され、実質的な持ち主が分からなくなる「所有者不明土地」は、まさに制度の疲弊を物語っています。この記事をきっかけに、皆さんもご自身が関わる土地や建物の未来について、少しだけ思いを馳せてみてはいかがでしょうか。単なる個人の資産という枠を超えた、新しい土地のあり方が見えてくるかもしれません。
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