人の世が移り変わるように、一冊の本もまた数奇な運命を辿ることがあります。その物語は、時に思いもよらない人物へと繋がっていくものです。日本を代表する俳優、高倉健さんもまた、書物を愛し、自らも飾らない名文を綴る文章家として知られていました。
高倉さんは著書『あなたに褒められたくて』の中で、飛行機の機内で見知らぬ男性から声をかけられた際のエピソードを明かしています。最初は煩わしく感じたものの、相手が同郷の福岡出身だと知った瞬間、身に纏っていた心の鎧がスッと消えていったといいます。
そんな彼が育った福岡県中間市には、江戸時代に生きた一人の類まれなる女性がいました。高倉さんの先祖にあたる商家「小松屋」の主婦、小田宅子です。彼女は類まれな美貌と学問への情熱を兼ね備え、国学を学ぶ門下生としてもその才能を発揮していました。
53歳で挑んだ3200キロの壮大な女子旅
1841年1月16日、当時53歳だった宅子は、同門の女性らと共に伊勢参りへと旅立ちます。しかし彼女の好奇心は伊勢に留まりませんでした。信州の善光寺から江戸、日光へと足を延ばし、帰路は甲府や京都、大坂を巡るという、実に見事な大周遊を成し遂げたのです。
家に戻ったのは1841年6月12日のことでした。約5カ月間に及ぶ旅路は、距離にしておよそ3200キロに達します。平均寿命が40歳ほどだった時代に、一介の主婦がこれほどの長旅を完遂した事実は、まさに歴史的な壮挙と呼ぶにふさわしい出来事でしょう。
SNS上では「江戸時代の50代女性が3000キロ以上歩くなんて信じられない」「健さんのストイックさはご先祖譲りだったのか」と、彼女のバイタリティに驚く声が上がっています。宅子はこの思い出を、旅の10年後に『東路日記(あずまじにっき)』として記録に残しました。
極刑の危険も?決死の「関所破り」の真相
この日記には、実は隠された秘密がありました。1950年代に発見された草稿を紐解くと、完成版では削除された「関所破り」の緊迫した場面が記されていたのです。当時、箱根のような厳しい関所を避けて裏道を通ることは、見つかれば極刑に処される命がけの行為でした。
「関所破り」とは、幕府の厳しい監視の目を盗んで間道を通る違法な越境のことです。宅子たちは暗闇の中、道なき桑林を押し分け、息を殺して川を渡ったといいます。道案内の者と共に極限の恐怖を味わいながら、彼女たちは必死に甲斐国へと逃げ延びたのでした。
さらに、神奈川周辺では正体不明の男たちに追いかけ回されるなど、旅は常に危険と隣り合わせでした。こうした苦難を乗り越えて書き残された記録は、田辺聖子氏の手によって『姥ざかり花の旅笠』として小説化され、現代の私たちにも勇気を与えてくれています。
一人の主婦が命をかけて道を切り拓いた精神は、1870年に彼女が82歳で生涯を閉じた後も、高倉健さんという偉大な俳優の血脈の中に静かに、しかし力強く受け継がれていたのでしょう。歴史の面白さは、こうした点にこそ宿っていると私は確信しています。
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