皇室の大きな慶事を祝し、特定の罪を犯した人々の刑罰を免除したり軽減したりする「恩赦」が、2019年10月22日の即位礼正殿の儀に合わせて実施されることとなりました。じつに26年ぶりとなる今回の決定は、時代の節目を祝う伝統的な側面を持つ一方で、現代の法治国家においてどのような意味を持つのか、改めて深い議論を呼んでいます。
そもそも恩赦とは、裁判所で確定した判決を、行政権によって消滅させたり内容を軽くしたりする制度を指します。いわば、司法の判断を後から調整する「慈悲の措置」のような役割を担ってきました。政府は今回の実施にあたり、国民の根強い批判を意識して、対象を比較的軽微な犯罪に絞り込むなど慎重な姿勢を見せているようです。
選挙違反者が含まれる矛盾と公平性への疑問
しかし、対象者の内訳を詳しく見ていくと、見過ごせない懸念が浮かび上がってきます。私たちがかねてより「救済すべきではない」と訴えてきた選挙違反者が、今回の恩赦の対象に含まれている点です。民主主義の根幹を揺るがす選挙違反に対して、安易に免罪符を与えるような姿勢は、法の公正さを損なう恐れがあると言わざるを得ません。
SNS上でも「なぜ政治に関わる犯罪が許されるのか」「真面目にルールを守っている人が馬鹿を見るのではないか」といった、不公平感に満ちた厳しい声が数多く寄せられています。権力を持つ政治家や、その周囲の人々だけが恩恵を受けるようなことがあれば、国民の政治不信はより一層深まってしまうでしょう。
形骸化した制度の存廃を議論すべき時
私は、こうした時代にそぐわない恩赦の運用には、断固として疑問を呈すべきだと考えています。国家の慶事を利用して特定の誰かが得をするような不透明なプロセスは、現代の透明性が求められる社会には馴染みません。恩赦という仕組みそのものが、現在の日本において本当に必要なのか、抜本的な見直しが求められています。
政府は、どのような基準で誰を選んだのか、その過程を国民に対して明確に検証・公開する責任があるはずです。もし特定の有力者に近い人間が恣意的に救済されているのだとすれば、それは法治主義の敗北に他なりません。この機会を単なる通過点とせず、恩赦という制度の存廃を含めた真剣な国民的議論を今すぐ始めるべきでしょう。
コメント