政治とカネの言い訳ヒストリー!「記憶にございません」から最新の逃げ口上までを徹底分析

政治家や企業トップが不祥事に直面した際、私たちは何度も同じような光景を目にしてきました。2019年10月23日現在、映画界では三谷幸喜監督の最新作『記憶にございません!』が大ヒットを記録しています。皮肉にもこのタイトルは、かつて日本中を揺るがした汚職事件で一世を風靡したフレーズそのものです。時代の変遷とともに、責任を回避するための「言い訳」がいかに進化を遂げてきたのか、その舞台裏を探ってみましょう。

振り返れば、1976年に発覚したロッキード事件が大きな転換点でした。アメリカの航空機メーカーによる大規模な贈収賄事件において、証人喚問に立った関係者が連発したのが「記憶にございません」という言葉です。当時はこのシンプルな回答が、追及をかわすための鉄板フレーズとして定着しました。しかし、SNS上では「今やこのセリフはコントのネタにしか聞こえない」といった、冷ややかな反応が多く見受けられるようになっています。

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デジタル化が阻む「忘却」という名の壁

かつては通用した「忘れた」という言い逃れも、現代社会では通用しにくくなっています。あらゆる情報のデジタル化が進み、メールや通話記録といった「客観的な証拠」が容易に引き出せるようになったからです。記録によって事実が証明されてしまう現在、個人の記憶に頼った釈明は、もはやリスクでしかありません。SNSでも「ログが残っているのに忘れたふりをするのは無理がある」と、厳しいツッコミが相次ぐのが常態化しています。

また、かつての定番だった「秘書が勝手にやったことで、私は知らなかった」という責任転嫁も、今では危険な賭けとなりました。不当な扱いを受けた側がSNSなどで内情を暴露する「内部告発」のリスクが飛躍的に高まったためです。忠実な部下に罪を被せるという手法は、情報の隠蔽が困難な現代において、自分自身の首を絞めることになりかねません。組織のトップには、部下の行動を把握する高い管理能力が求められているのです。

現代のトレンドは「第三者」への丸投げ?

最近の傾向として、森友学園問題などで耳にした「刑事訴追のおそれがあるため回答を控える」という表現が目立ちます。これは、自分が刑事罰を受ける可能性を理由に証言を拒む権利ですが、国民の目には不誠実に映るでしょう。また、関西電力の金品受領問題で見られる「詳細は第三者委員会の調査に委ねる」といった言い回しも増えています。客観性を装いつつ、その場をやり過ごそうとする意図が透けて見えるようです。

編集者としての私見ですが、こうした「中立性」を盾にした言い逃れは、国民の政治不信を深めるだけではないでしょうか。映画『記憶にございません!』が支持されている理由は、不透明な現代の釈明とは対照的な、あのフレーズの潔いまでのシンプルさが、一周回って新鮮に感じられるからかもしれません。本当の意味で私たちが求めているのは、巧妙な言葉遊びではなく、誠実な事実の説明と、責任ある態度の表明であるはずです。

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