株式投資から会計士の道へ!細野祐二氏が抱いた監査の理想と現実のギャップ

1953年11月に三重県久居町で生を受けた細野祐二さんは、幼少期から大都会・東京への強い憧れを抱いていました。4人兄弟の末っ子として育ち、高校3年生の時にお父様を病気で亡くされるという苦境に立たされます。家計が厳しい状況でも東京進学の夢を諦めきれなかった彼は、得意科目を絞って受験に挑み、早稲田大学文学部への合格を勝ち取ったのです。

大学生活が始まると、細野さんは学費と生活費を稼ぐためにアルバイトに明け暮れる日々を送ります。飲食店での勤務は夜型になりやすく、学業との両立は困難を極めました。当時の早稲田大学には、2年生修了時点で所定の単位を取得しなければ自動的に留年が決まるという厳しいルールが存在していました。彼は自身の生活を正すべく、再受験を決意して同大学の政治経済学部へと転部したのです。

再スタートを切った細野さんに転機が訪れます。奨学金として振り込まれた30万円を元手に、人生で初めての株式投資に挑戦したのです。折しも時代は空前の上げ相場に沸いていました。独学でチャート分析を学び、新聞の相場欄を読み解くことで、資産は瞬く間に数百万円へと膨らんだのです。投資で得た利益を生活費に充てることで、彼はようやく学問に専念できる環境を手に入れました。

3年生の時に受けた複式簿記の講義が、彼の運命を決定づけます。「複式簿記」とは、一つの取引を原因と結果の二側面から記録する手法です。複雑な金銭の貸借関係を一発の会計処理で相殺できる合理性に、彼は深い感銘を受けました。組織に縛られず自立して生きていくために、1978年の大学卒業と同時に公認会計士試験の2次試験を見事に突破し、会計の世界へ足を踏み入れたのです。

合格後の祝賀会で誘いを受け、細野さんは外資系大手監査法人のピート・マーウィック・ミッチェルに入所しました。しかし、そこで待っていたのは理想とはかけ離れた現実です。上司たちは不平不満を漏らすばかりで、尊敬できる存在ではありませんでした。監査の現場では、企業から「邪魔者」として扱われる日々が続きます。会計士の誇りを見出せない現状に、彼は強い危機感を抱き始めていました。

SNS上では「苦学生から投資で資産を築くバイタリティが凄い」といった声や、「監査法人の閉鎖的な空気感は今も昔も変わらないのか」という共感のコメントが見受けられます。私自身、細野氏の反骨精神こそが健全な資本主義を守る鍵だと感じます。企業に煙たがられても真実を追究する姿勢こそ、今の会計業界に最も求められている誇り高い姿ではないでしょうか。

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