歴史の奔流が世界を塗り替えた「ベルリンの壁崩壊」から2019年11月10日で30年が経過しました。この歴史的転換点の「最初の一撃」を加えた当事者をご存じでしょうか。オーストリア・ハンガリー帝国最後の皇太子の娘、ワルブルガ・ハプスブルク・ダグラス氏です。彼女は1989年8月に開催された伝説的なイベント「汎ヨーロッパ・ピクニック」の立役者の一人として、自由への扉をこじ開けました。
このピクニックは、単なる野外行事ではありませんでした。ワルブルガ氏と父のオットー大公は、ハンガリーの国境で「鉄のカーテンをなくすために手伝ってください」と書かれたビラを配布したのです。鉄のカーテンとは、冷戦時代に東西ヨーロッパを隔てていた物理的、思想的な境界線のことを指します。当時、自由を求めて東ドイツから脱出路を探していた多くの市民にとって、この呼びかけはまさに命綱となりました。
自由のために全てを捨てた人々!乗り捨てられた名車「トラバント」の記憶
1989年8月19日のピクニック当日、国境が一時的に開放されると、数百人の東ドイツ市民がオーストリア側へと駆け出しました。ワルブルガ氏は当時の光景を「人々は自由を手にした歓喜で涙を流していた」と回想します。国境付近には、東ドイツ製の象徴的な大衆車「トラバント」が大量に乗り捨てられていました。持ち物全てを投げ打ってでも「自由」を選んだ彼らの決断は、今もなお私たちの心に強く訴えかけるものがあります。
一度入った亀裂は、もはや誰にも修復できません。ワルブルガ氏は「圧力が限界に達し、小さな裂け目が生じれば、もう二度と閉じることは不可能だ」と断言します。SNS上でも「歴史を動かしたのは高名な政治家だけでなく、自由を求めた民衆の足音だった」という共感の声が多く寄せられており、この出来事がベルリンの壁崩壊というドミノ倒しの最初の一枚であったことは疑いようのない事実でしょう。
現代の「新たな壁」への戸惑いとハプスブルク帝国に学ぶ共生の知恵
しかし、自由を勝ち取ったはずのハンガリーでは今、新たな問題が起きています。かつて民主化の旗手だったオルバン首相が、現在は移民流入を防ぐために国境へフェンスを築いているのです。これに対し、かつて有刺鉄線を撤廃するために奔走したワルブルガ氏は「非常に戸惑っている」と苦言を呈します。国境を消し去ることこそが、平和と進歩への道であるという彼女の信念は揺らぐことがありません。
多様な民族が共生していたハプスブルク帝国の歴史には、現代の欧州連合(EU)が抱える課題を解決するヒントが隠されています。軍隊や大学で多様な言語や宗教が尊重されていた仕組みは、まさに多文化共生の先駆けです。私個人の見解としては、境界線を引いて他者を排除する今の世界の風潮に対し、彼女が語る「寛容な帝国」の記憶は、私たちが目指すべき未来の羅針盤になるのではないかと強く感じます。
ワルブルガ氏は、かつての国境のフェンスの破片を、次世代を担う子どもたちに分け与えたそうです。そこには「人々を永遠に閉じ込めることはできない。自由は必ず勝利する」という力強いメッセージが込められています。2019年11月12日現在、再び世界各地で「壁」が築かれようとする中で、彼女が30年前に見せた勇気と行動は、私たちに自由の真の価値を問い直させてくれます。
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