私たちの日常において、動物は「癒やし」や「家族」としての存在感を強めていますが、その愛情が「性愛」へと向けられた時、社会はそれを激しく拒絶します。2019年11月30日、集英社から刊行された濱野ちひろ氏の著書『聖なるズー』は、そんな深いタブーに鋭く切り込んだ一冊です。本書がテーマとするのは、動物に対して感情的な愛着と性的な欲望を抱く人々、通称「ズーフィリア(ズー)」の切実な日常となっています。
この「ズーフィリア」という言葉には、馴染みがない方も多いかもしれません。一般的に使われる「獣姦(じゅうかん)」という言葉が暴力的な支配を想起させるのに対し、彼らは動物を対等なパートナーとして尊重しているのが特徴です。ネット上のSNSでは「理解しがたいが興味深い」「愛の定義が揺らぐ」といった驚きの声が広がっており、単なる好奇心の対象を超えた、深い思索を促すテーマとして注目を集めているのでしょう。
偏見を超えて出会った、ドイツの当事者たちの素顔
濱野氏は大学院でセクシュアリティーの研究に励む中で、ドイツに公的な活動を行うズーの団体が存在することを知りました。当初はファンタジーの世界の話だと思っていた彼女は、世間の厳しい偏見を受け止めてまで自分たちの在り方を問う彼らの姿勢に、強い好奇心を抱いたのです。「聞くべきことがたくさんある」という直感に従い、彼女は2016年から2017年にかけて、22人もの当事者と濃密な交流を重ねていきました。
繊細なテーマゆえに、取材は学術的な調査の枠を超えたものとなります。共に昼寝をし、目が覚めたら再び語り合うという、緩やかで親密な時間の中で信頼関係を築き上げました。統計データやアンケートの回答よりも、彼らが身近な愛犬に触れる際の一瞬の仕草にこそ、真実が宿ると濱野氏は確信したのです。遠い異国の珍しい話ではなく、読者のすぐ隣にある地続きの物語として感じてほしいという願いが込められています。
支配と暴力の連鎖を断ち切る「対等な関係」の模索
本書の冒頭では、著者自身が過去に経験した性暴力についても赤裸々に語られています。あえて自らの傷を晒したのは、ズーの在り方が「暴力という支配構造をいかに乗り越えるか」を考えるための重要な鍵になると考えたからです。人間が自分より弱いとされる動物と、いかにして対等でいられるのか。この「非対称性」への問いは、実は人間同士のコミュニケーションにおいても極めて重要な意味を持っていると言えるでしょう。
「分かり合える」という甘い前提は、時として相手への配慮を欠き、見過ごしてはならない違和感を無視することに繋がります。人間同士であっても心や体は全く異なるからこそ、安易な理解を拒み、相手を尊重する姿勢が不可欠なのです。私自身の考えとしても、この「分かり合えなさを出発点にする愛」こそが、現代社会における孤独や分断を癒やすための、一つの切実な回答ではないかと強く感じます。
本作は見事に「開高健ノンフィクション賞」を受賞しましたが、濱野氏自身はこの結果に驚きを隠せません。キリスト教的な価値観が根強い欧米では認められにくいテーマが、日本で評価されたことに意義を感じているようです。ズーを一生のテーマと定めた彼女の探求は、まだ始まったばかりと言えるでしょう。一見すると特殊な性愛の記録ですが、読み進めるうちに「愛するとは何か」という普遍的な問いに突き当たるはずです。
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