新明和工業の躍進を支えた元社長、玉河晋次氏が逝去。飛行艇技術の継承と経営に捧げた94年の生涯

兵庫県宝塚市に本拠を置く輸送機器メーカー、新明和工業の元社長である玉河晋次氏が、2019年11月10日に94歳でこの世を去りました。葬儀および告別式は近親者のみで既に執り行われており、喪主は次女の高岡由花さんが務められました。戦後の日本のモノづくりを牽引し、特に航空機事業の発展に尽力された同氏の訃報に、多くの関係者から惜しむ声が上がっています。

新明和工業という企業は、かつての「川西航空機」を前身に持ち、世界最高水準の性能を誇る救難飛行艇「US-2」の開発などで知られる名門企業です。飛行艇とは、滑走路ではなく水面を滑走して離着陸できる航空機のことで、四方を海に囲まれた日本において、離島からの救急搬送や海難事故の救助活動に欠かせない極めて専門性の高い技術を象徴する存在といえるでしょう。

玉河氏は、同社のリーダーとして、これら高度な航空機技術の維持と多角的な経営判断を両立させる重責を担ってこられました。SNS上では「今の新明和があるのは、苦しい時期を支えた先代たちの努力があったからこそ」「日本の空を支えた技術屋の魂がまた一人旅立った」といった、技術大国日本の一翼を担った故人への敬意と感謝を表する投稿が数多く見受けられます。

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技術と情熱を次世代へ繋いだ経営の航跡

一企業の社長という立場を超え、日本の航空産業全体の底上げに貢献された玉河氏の歩みは、まさに戦後復興から高度成長期、そして成熟期へと至る日本の歩みそのものでした。厳しいビジネスの荒波の中で、どのようにして独自の強みを守り抜くかという問いに対し、同氏は常に「技術への誠実さ」をもって答えてこられたのではないでしょうか。

筆者の見解としては、玉河氏のような先見の明を持った経営者がいたからこそ、日本は世界に類を見ない特殊な航空機技術を失わずに済んだのだと感じてなりません。効率性ばかりが重視される現代社会において、一朝一夕には真似できない熟練の技や伝統を企業文化として根付かせた功績は、計り知れないほど大きなものがあると言えるでしょう。

現在は同社の広報・IR部が窓口となり、故人を偲ぶ対応にあたっています。94歳という天寿を全うされた玉河晋次氏が遺した情熱は、今も空を舞い、海を駆ける製品群の中に息づいています。日本のモノづくりの歴史に深く刻まれたその名前と共に、私たちは素晴らしい技術遺産を次世代へと引き継いでいく責任があるのではないかと強く実感させられます。

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