相模原施設殺傷事件の公判が残す問い。匿名審理の「被害者特定事項秘匿制度」がもたらす光と影、遺族が直面する葛藤とは

2020年1月7日、日本中を震撼させた相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」での殺傷事件を巡り、横浜地裁でいよいよ公判が始まります。45人もの方々が被害に遭ったこの未曾有の事件ですが、法廷では亡くなった方を「甲A」、負傷された方を「乙A」といったアルファベットの記号で呼ぶ異例の審理が行われることになりました。被害者の尊厳やプライバシーを守るための措置であるものの、この匿名による裁判のあり方に対して、社会や遺族の間では大きな動揺と議論が広がっています。

インターネット上やSNSでも、この決定について非常に多くの意見が飛び交っている状況です。「障害者に対する偏見や二次被害、ネット上での誹謗中傷から家族を守るためには匿名にするしかない」という擁護の声が目立ちます。その一方で、「名前を奪われ記号として扱われるのは、まるであの犯人の思想を肯定しているかのように見えて胸が苦しい」といった悲痛な書き込みや、「事件の本質や被害者一人ひとりの生きた証が、社会から見えなくなって風化してしまうのではないか」という懸念も渦巻いています。

この裁判で適用されるのは「被害者特定事項秘匿制度」という刑事訴訟法に基づく仕組みです。これは2007年に導入されたもので、裁判所が認めた場合に、被害者の氏名や住所といった個人情報を公開の法廷で伏せることができる制度になります。本来は主に性犯罪の被害者を保護する目的で誕生しましたが、被害者や遺族の名誉、あるいは社会生活の平穏が著しく脅かされる恐れがあるケースにも柔軟に適用されており、現代の裁判では決して珍しい光景ではありません。

実際に最高裁判所の統計を見てみますと、2009年から2018年までの10年間で、この秘匿制度の適用が認められた被害者は約3万8900人にものぼるのです。これに対して却下された事例はわずか560人ほどにとどまっており、法廷の匿名化はスタンダードになりつつあります。しかし、どれほど時代が変わろうとも、愛する家族を理不尽に奪われた遺族の中には、一人ひとりの命の重みや事件の悲惨さを世間に具体的に知ってほしいと願い、実名での審理を選ぶ人々も存在します。

2015年に東京都江戸川区で高校3年生の岩瀬加奈さんが殺害された事件では、母親の裕見子さんらの強い意思によって実名での裁判が行われました。裕見子さんは当時の心境を振り返り、我が子が法廷でアルファベットの記号で呼ばれることへの強い抵抗感を口にしています。これから裁判を迎える被害者家族に向けて、後悔を残さないように自分たちの望む形をしっかりと裁判所に伝えることが大切であると、実名審理を選択した先輩として重みのある言葉を投げかけています。

また、千葉県松戸市でベトナム国籍の小学3年生、レェ・ティ・ニャット・リンさんが殺害された事件でも、父親が実名での報道と裁判を強く要望されました。犯人に対して、奪ったのは名もなき記号ではなく自分の最愛の娘なのだと突きつけ、一生その罪を忘れてほしくないという父親の執念が実名を選ばせたのです。このように、名前を出すということは単なる手続きではなく、被害者が確かにこの世界に存在していたという尊厳をかけた闘いでもあると言えるでしょう。

専門家である甲南大学法科大学院の渡辺修教授は、SNSの普及によって法廷内の情報がまたたく間にインターネット上で拡散され、深刻なプライバシー侵害を招く危険性を指摘しています。その上で、裁判所や検察官はただ手続きを進めるだけでなく、実名を出すことの意義や、逆に匿名にすることによる社会的なリスクを遺族へ丁寧に説明し、主体的な選択を促すことが何より重要であると提言しており、この視点は極めて本質的だと感じられます。

私は、この匿名審理という制度自体は被害者の安全を守るために不可欠な防壁であると考えます。しかし同時に、被害者が記号化されることで、私たちが事件の痛みを我がこととして受け止める想像力が麻痺してしまう危険性も否定できません。司法には、遺族の引き裂かれるような葛藤に寄り添い、単なる効率的な裁判運営に終わらせない真摯な姿勢が求められています。誰もが納得できる正義のあり方を、私たちはこの裁判を通じて見つめ直さなければなりません。

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