東急社長の高橋和夫氏が語る!赤字バス事業の立て直しと激動の現場で掴んだ「信頼」のリアル

東京急行電鉄(現東急)のトップを務める高橋和夫社長が、自身の原点とも言える激動の若手時代を振り返ります。1980年4月1日に入社した高橋氏が配属されたのは、同期の中でたった一人だけとなる「自動車部」でした。当時は鉄道会社におけるバス事業の存在感が薄く、オフィスも本社から離れた雑居ビルの一角という、まさに「辺境の地」からのスタートだったそうです。戸惑いの中で始まった社会人生活ですが、ここから同氏の卓越したリーダーシップが磨かれていくことになります。

入社3年目となる1982年には、周囲から同情されるほどの難所であった東急バス弦巻営業所への転勤を命じられます。当時のバス業界における労働組合は非常に主張が強く、とりわけ弦巻営業所は会社側と鋭く対立する先鋭的な拠点で有名でした。20代前半の若き高橋氏は、会社側の主任という立場で、自分の親ほどもある気性の荒い古参運転士たちと真正面から向き合う厳しい日々を送ることになったのです。

特に過酷だったのは、早朝5時前から始まる宿直時の突発的な欠勤対応でした。「体調不良で休む」という電話が相次ぐ中、路線バスを運休させるわけにはいきません。高橋氏は驚くべきことに、200人もの運転士全員の住所を暗記し、緊急時に誰が一番早く駆けつけられるかを瞬時に計算して人員を確保したそうです。SNS上でも「全員の住所を覚える執念が凄すぎる」「現場の修羅場をくぐった強さは本物だ」と、その驚異的な行動力に称賛の声が集まっています。

若造扱いされて挨拶すら無視される逆境からスタートしたものの、筋を通して誠実に対処し続けることで、徐々に頑なだった運転士たちの心も解けていきました。現場の最前線で複雑な人間関係から逃げずに状況を切り開いた経験は、高橋氏にとって大きな自信となります。優等生ではなくとも、泥臭く人と向き合うことで信頼関係は築けるという信念は、まさに現代のビジネスパーソンにとっても深く共感できる素晴らしいマインドセットではないでしょうか。

現場で確かな手応えを掴んだ高橋氏は、1983年に交通事業本部総括課へ戻り、本格的なバス事業の経営再建へと乗り出します。当時のバス事業は、年間売上高約200億円に対して数十億円もの赤字を抱える極めて深刻な状況でした。他部門の利益で支えられていたため、部門単体での経営改善は急務であり、高橋氏の次なる挑戦がここから本格化していくことになります。

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