大切な家族がこの世を去った後、遺された膨大な思い出の品々をどう受け継ぐべきか、悩む方は少なくありません。作家の玉岡かおるさんも、3年間にわたりある「宿題」を抱えていました。それは、2017年に97歳で旅立った父・忠大(ちゅうだい)さんが遺した、膨大な数の古い映画フィルムと映写機の処分です。1919年(大正8年)に生まれたお父様は、少年の頃に映画の原点である「活動写真」と出会い、その動く映像に心を完全に奪われました。SNSでも「これほど純粋で深い映画愛には胸を打たれる」「1世紀近く前の情熱が今も息づいているのが素晴らしい」と、多くの共感の声が寄せられています。
お父様が恋に落ちたのは、大正末期から昭和初期に全盛期を迎えていた「サイレント映画(無声映画)」でした。これは音声が記録されていない映画のことで、当時は映像に合わせて物語を解説する「活動弁士(カツベン)」の存在が不可欠でした。日本には講談や落語といった伝統的な「語りの文化」が根付いていたため、この弁士が活躍するスタイルは独自の発展を遂げたのです。しかし、技術の進歩により10年ほどで音の出る「トーキー映画(発声映画)」が主流となり、無声映画は表舞台から姿を消します。さらに戦時中には洋画が敵性文化として処分されそうになりますが、お父様は私財を投じて好みのフィルムを買い取り、貴重なコレクションを守り抜きました。
周防正行監督との運命的な繋がりと「カツベン!」への名連ね
お父様が遺したリストには、16ミリフィルムの長編が210本、中編や短編を合わせると400本を超える作品が並んでいました。かつては自ら弁士を務めて上映会を100回以上も開催していたそうですが、家族にはその真の価値が分かりません。そこで玉岡かおるさんは、自身が教鞭を執る大阪芸術大学の映像学科に相談を試みました。すると、驚くべき奇跡が起こります。ちょうどその日、大学には特別講義で周防正行監督が訪れており、映画「カツベン!」のプロモーションチームも同行していたのです。なんと監督たちは生前のお父様の上映会に足を運んでおり、そのご縁から映画のエンドロールにお父様の名前を刻んでいたことが判明しました。
映画を愛してやまない若者を描いたその作品は、まさに若き日のお父様そのものでした。この運命的な巡り合わせに、玉岡さんも言葉を失うほどの衝撃を受けたといいます。次世代にこの文化を引き渡すべきだと確信した瞬間でした。メディアを預かる筆者の視点としても、一人の市民が守り続けた映画の灯火が、現代の名監督によって日本映画史の地続きのピースとして認められたという事実は、エンターテインメントの枠を超えた文化的な大金星であると感じずにはいられません。ネット上でも「映画の神様が引き合わせたような、事実は小説より奇なりを地で行く展開に鳥肌が立った」と大きな話題を呼んでいます。
一缶ごとに込められた最後のメッセージと感動のロードショー
大学との協議の結果、学芸員による調査が行われることになりました。お父様が亡くなって以来、初めて収蔵フィルムの引き出しを開けた玉岡さんは、思わず息を呑みます。そこには、ぎっしり詰まったフィルムの上に「何もかも見納め。さようなら」と書かれた、お父様直筆の大きなメモが残されていたのです。全ての引き出しに用意されていたその言葉は、まさに人生という映画の幕引きを告げるエンドロールのようでした。さらに一缶ごとに、劣化の具合や作品の見どころ、研究者向けの価値などが、震える文字で丁寧に書き残されていたのです。
晩年、死期を悟ったお父様は、認知症もなくはっきりとした意識の中で、毎日一人で一本ずつフィルムを上映していたのでしょう。壁に掛けられた、33年前に先立たれた奥様の写真に見守られながら、暗闇を照らす映写機の光の中で懐かしい思い出や銀幕のスターたちを振り返る「たった一人のロードショー」を開催していたのです。このあまりに美しく切ないラストシーンに対し、SNSでは「涙が止まらない」「映画館の暗闇の中で、きっと奥様と再会していたのだろう」と感動の渦が広がっています。
激動の時代を映画とともに歩み、フィルムを愛し抜いたお父様の万感の思い。その大切なコレクションは、2020年1月末に神戸映画資料館へと正式に引き取られることが決まりました。それは、遺された家族にとっても本当の意味での「THE END」を刻む瞬間となります。一人の男性が人生を捧げた映画への情熱は、時を超えて資料館へと受け継がれ、無声映画を知らない新しい世代の心へと永遠に上映され続けていくことでしょう。
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