2019年6月29日付けの記事は、今年で没後20年を迎える文芸評論家・江藤淳氏の生涯と、彼の死生観の核心に迫るものでしょう。夏目漱石論をはじめとする数々の批評で知られる江藤氏ですが、その永井荷風氏への深い愛着と、それを巡る苛烈な論争を振り返ることで、氏の文学者としての姿勢が鮮やかに浮かび上がってまいります。
特に注目すべきは、単行本には未収録だった評論「批評文学の百年」に掲載された、荷風氏の死に関する論考です。この記事は、24年も前に書かれたものにもかかわらず、その論調には晩年の悠々自適とはかけ離れた、江藤氏ならではの激しさが感じられます。この中で江藤氏は、荷風氏が1959年に亡くなった際の、作家・石川淳氏による著名な追悼文「敗荷落日」を厳しく批判し、その激しい応酬は読者の胸を打ちます。
孤高の作家、永井荷風の「死」を巡る激論
石川淳氏は、永井荷風氏が千葉県市川市の自宅で79歳で孤独死を遂げたことに対し、「詩人らしくもなく、小説家らしくもなく」と評し、「葛飾土産」以外の晩年の作品を「読むに堪えぬもの」と一蹴しました。そして、荷風氏の最期を「一箇の怠惰な老人の末路」と断じています。これは、当時の文壇における一種の冷ややかな評価を代表するものだったと言えるでしょう。
これに対し、江藤氏は強い言葉で異を唱えています。「どうして文士に、『芸術的……雰囲気』のなかで死ななければならぬという義理合いがあるか」と、文学者が「芸術的」な死を迎えなければならないという石川氏の前提に対し、真っ向から疑問を投げかけました。「『貯金通帳をこの世の一大事とにぎりしめて』、『ただひとり』で死んで、何が悪いというのか」と、石川氏の言葉を引用しつつ、あたかも故人に対して問い詰めるかのような激しさで、孤高の作家である荷風氏の死に様を力強く擁護なさいました。
江藤氏のこの情熱的な擁護からは、自分らしい生き方、そして自分らしい死に方を貫くことこそが重要である、という強い思想が感じ取れます。氏の心の中には、「人からどう見られようと、自分にとって納得のいく死に方ならば恥をさらしたって構わない」という、一種の義憤にも近い感情が湧き上がっていたのではないでしょうか。江藤氏は「かくして荷風散人は、いかにも荷風らしい死を死んだのである。私も願わくは、自分らしい死を死にたい」と綴り、自身の死生観を鮮明に示しています。この言葉は、彼の後の人生を予言するかのように重く響いてくるでしょう。
「自分らしい死」への渇望と、死の真相に迫る評伝
江藤氏がこの文章を書いてからわずか4年後、彼は病で亡くなった妻を追うように自宅で自ら命を絶たれました。この衝撃的な出来事により、江藤氏が荷風氏の死を通して語った「自分らしい死」への渇望は、より一層、読者の間で反響を呼んでいるのです。特にSNSでは、彼の苛烈な生き方と文学への真摯な姿勢に対し、「文学者として最後まで誠実だった」「自分を貫いた江藤先生の生き様が格好良い」といった熱い意見が多く見受けられました。
平山周吉氏による評伝『江藤淳は甦(よみが)える』(新潮社)は、江藤氏の自殺の兆候までも克明に描き出しており、故人の数々の謎に迫ろうとしています。この著作からも、江藤氏の文学に対する真剣さ、そして彼の死の背景にあった、義憤にも近い肉声が随所で聞こえてくるようです。江藤氏の生涯は、まさに自己の信念を貫き通した、苛烈な生と死の物語であったと結論づけても良いのではないでしょうか。
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