2019年8月18日に開催が予定されていた現代アートのシンポジウムについて、主催する神戸市の外郭団体「神戸市民文化振興財団」が急遽中止を決定しました。このイベントにはジャーナリストの津田大介氏が登壇する予定でしたが、直近の社会情勢を鑑みた結果、2019年8月9日に正式な発表が行われたのです。
今回の判断の背景には、津田氏が芸術監督を務めている国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」での混乱があります。同芸術祭の企画展である「表現の不自由展・その後」が、開幕直後に中止へ追い込まれたことは記憶に新しいでしょう。この事態を受けて、神戸市側にも開催を危ぶむ声や抗議が数多く寄せられていたようです。
ここで「あいちトリエンナーレ」について補足すると、これは3年に1度開催される国内最大級の国際芸術祭を指します。一方、議論の的となった「表現の不自由展・その後」は、過去に検閲や抗議によって展示機会を奪われた作品を集めた企画です。表現の自由を問い直す試みでしたが、結果として激しい論争を巻き起こすことになりました。
SNS上では今回の神戸市の決定に対し、「安全を考慮すれば妥当な判断だ」と理解を示す声がある一方で、「議論の場そのものが失われるのは残念だ」という懸念も広がっています。インターネット上でも意見が真っ二つに分かれており、アートと政治、そして市民感情の距離感について非常に多くのユーザーが敏感に反応している状況です。
アートの公共性と「表現の自由」をめぐる現在地
編集者の視点から申し上げれば、今回の中止劇は単なるイベントの中止という枠を超え、日本の文化芸術における「寛容さ」が試されているように感じます。もちろん、来場者の安全確保や円滑な運営は行政にとって最優先事項でしょう。しかし、批判を恐れるあまりに対話の扉を閉ざしてしまうことは、文化の発展にとって大きな損失ではないでしょうか。
現代アートは、時に私たちの価値観を揺さぶり、社会に潜在する課題を浮き彫りにする役割を担っています。感情的な対立が深まる今だからこそ、双方が冷静に向き合える場所が必要だと考えられます。展示そのものではなく、それを議論するシンポジウムまでが中止となる現状は、表現の萎縮を招きかねない危うさを孕んでいると言わざるを得ません。
今後は、こうしたトラブルが起きた際にどのように対話を継続し、安全と自由を両立させていくのかが大きな課題となるでしょう。単に「騒ぎが起きたから止める」という選択ではなく、公共の場において多様な意見が共存できる仕組み作りが急務です。2019年の夏、日本のアートシーンはかつてない転換点を迎えているのかもしれません。
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