ハードボイルド小説の金字塔「新宿鮫」シリーズ。その最新作の発売を控え、著者である大沢在昌さんが2019年12月02日、現在の出版業界が直面している厳しい現実と、作家としての使命感を明かされました。かつては飛ぶように売れていたハードカバー、いわゆる「四六判(しろくばん)」と呼ばれる布張りや厚紙で装丁された単行本が、今やかつてない苦境に立たされています。
著者の記憶によれば、バブル崩壊後もしばらくは、安価な娯楽として本の需要は堅調だったそうです。しかし、2008年09月に発生したリーマン・ショックを境に状況は一変しました。世界的な不況により売れ行きは4割近くも急落し、追い打ちをかけるように2011年03月の東日本大震災が、読者の購買意欲をさらに減退させてしまったのです。
SNS上では「最近は本が高いと感じるようになった」「スマホを見る時間が増えて読書が減った」という声が多く聞かれます。実際に、かつては30万部を誇った月刊小説誌が、現在は1万部を維持することすら困難な時代へと変貌を遂げました。この「中間小説誌」と呼ばれる娯楽性の高い小説を扱う雑誌の衰退が、出版サイクルそのものを狂わせているのでしょう。
出版システムの崩壊と「永久初版作家」の誇り
かつては雑誌の利益だけで作家の原稿料を賄えましたが、現代では単行本や文庫の売り上げを前提にしなければ、ビジネスとして成立しません。大沢さんが1985年に初めてハードカバーを出版した際、実績のない新人でも初版は6,000部。新書サイズの「ノベルス」であれば2万部以上が当たり前の世界でした。それが今や、新人の初版は3,000部程度にまで落ち込んでいます。
文庫市場の冷え込みはさらに深刻です。1986年に大沢さんが初めて文庫を出した際は、当時の最低ラインといわれた5万部からのスタートでした。大沢さんはかつて、重版がかからない自分を自虐的に「永久初版作家」と呼んでいました。しかし、今の基準で見れば、当時の初版部数は現代のベストセラー級の数字であり、時代の変遷を感じずにはいられません。
現在の文庫書き下ろしでは、初版が1万部を切るケースも珍しくありません。定価の10パーセント前後が一般的とされる印税収入だけで生活することは、プロの作家にとっても極めて高いハードルとなっています。私自身、この状況は文化の多様性を損なう危機だと感じます。売れる本だけが正義とされる中で、作家が執筆に専念できる環境を守ることは、出版社のみならず読者の課題でもあるはずです。
大沢さんは「かつて売れない自分を支えてくれたのは、売れている先輩作家たちだった」と振り返ります。だからこそ、厳しい時代にイベントへ奔走し、読者と向き合うことを「恩返し」だと語るその姿勢に、本物のプロフェッショナリズムを見ました。一冊の本が手元に届くまでの背景を知ると、書店で手に取る「新宿鮫」の重みが、より一層増して感じられるのではないでしょうか。
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