柔らかな肌触りと、表面に浮かび上がる細やかな凹凸が生み出す陰影。和装の世界で圧倒的な存在感を放つ「丹後ちりめん」が、いよいよ2020年に創業300年という輝かしい節目を迎えます。現在、和装用白生地のシェア約7割を誇る京都府丹後地方ですが、その繁栄の裏には、一人の男が命を懸けて持ち帰った「門外不出の技術」がありました。
その人物こそ、峰山藩の絹屋佐平治です。1719年に彼は、藩の窮状を救うため、当時京都の西陣が独占していた製法を学ぶべく旅立ちました。SNSでは「一人の情熱が地域を救う物語は現代にも通じる」「技術のオープンソース化の先駆け」といった声が上がっており、その献身的な生き方に多くの方が感銘を受けています。
断食祈願の末に掴んだ「シボ」を生み出す秘伝の技
佐平治の修行は決して平坦な道ではありませんでした。1719年、彼は出発を前に地元の禅定寺で断食祈願を行い、不退転の決意で西陣へ向かいます。一度目の修行では成果が得られず、再び断食を経て挑んだ二度目の修行で、ようやく製法の核心に触れることができました。ちりめん特有の「シボ」と呼ばれる凹凸は、織り方の工夫だけで生まれるものではありません。
ここで専門的な解説を加えますと、ちりめんの最大の特徴は「強撚糸(きょうねんし)」の使用にあります。これは1メートルあたり3,000回以上という猛烈なひねりを加えた横糸のことです。この糸を使って織り上げた後、お湯で煮ることで糸が収縮し、あの独特の風合いが生まれるのです。佐平治は1720年、ついにこの緻密な工程を再現することに成功しました。
驚くべきは、彼が苦労して手に入れたこの技術を、独占することなく誰にでも教え広めた点です。この「無私の精神」こそが、丹後一円に機織りの音を響かせ、藩の経済を劇的に立て直す原動力となりました。彼の功績を讃え、藩主の京極高長公からは「御召 縮緬 ちりめんや」と記された直筆ののれんが授けられています。
正倉院の時代から続く「織物の聖地」としての底力
丹後ちりめんが短期間で一大産地へと成長した背景には、実は1,000年以上にわたる織物の歴史があります。古くは8世紀に正倉院へ「〓(あしぎぬ)」と呼ばれる絹織物を献上した記録があり、中世には高級な「精好(せいごう)」を生産していました。もともと高いポテンシャルを持っていた土地に、佐平治たちが「ちりめん」という最高の種を蒔いたのです。
1840年に発行された、諸国の特産品を相撲の番付に見立てた「諸国産物大数望(しょこくさんぶつおおすもう)」では、丹後ちりめんは西の「小結」として上位に名を連ねています。当時の大坂市場において、全国的なブランドとして揺るぎない地位を築いていたことが伺えます。まさに、江戸時代の「地方創生」における大成功例といえるでしょう。
しかし、現代に目を向けると、1973年に約919万7,000反を記録した生産量は、2018年にはその30分の1以下にまで減少しています。私は、佐平治がかつてそうしたように、伝統を守るだけでなく、新たな技術や価値観と融合させる「革新の精神」が今こそ必要だと感じます。300年の歴史は、決して過去の遺物ではなく、未来へのヒントに満ちています。
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