大手証券会社のトップを務めた鈴木茂晴氏が、若かりし新人時代の驚くべきエピソードを明かしてくれました。1974年2月まで3年間にわたり在籍した本店営業部では、マークシート形式の伝票で発注を行う日々だったそうです。売りと買いの伝票の色を間違えては、何度も始末書を提出したという親しみやすい失敗談も飛び出しました。SNS上では「あの鈴木氏にもそんな新兵時代があったとは驚き」「人間味があって応援したくなる」と、多くの共感の声が寄せられています。
そんな彼が衝撃を受けたのが、新人指導係であるチューターの先輩、越田弘志氏の存在でした。ある日、自動車メーカーの株を老舗和菓子店の社長に提案するものの、あと一歩で契約が成立する「約定(やくじょう)」に至らず悩んでいたそうです。そこで越田氏が同行してくれることになりました。「今は資金がない」と渋る社長に対し、越田氏はなんと「足りないのはお金ではなく度胸でしょう」と言い放ったのです。この一言が伝説の営業マンの凄みとして、今も語り継がれています。
まさに顧客の心を揺さぶるプロの技ですが、当時はこうした大胆な手法が功を奏したのでしょう。SNSでも「この緊迫感あふれるやり取りは、現代のビジネスパーソンにも刺激になる」と話題を呼んでいます。プロの営業とは、時には相手の懐に深く飛び込む覚悟が必要なのだと気付かされます。
社内恋愛から始まった最愛の妻との出会いと独身寮の思い出
職場で最も目を引く存在だった女性との甘酸っぱいエピソードも披露されました。社員旅行の際に勇気を出してボートに誘ったところ、周囲の先輩たちからお似合いだと背中を押され、その後に転勤した大宮の支店時代に結婚へと至ったそうです。そのお相手こそが、現在も彼を支える妻の祥子さんでした。
一方で、当時暮らしていた独身寮での生活は、かなり強烈なものだったようです。同室の先輩が部屋をまったく掃除しなかったため、敷きっぱなしの万年床を片付ける際には、畳まで一緒にはがれてしまうほどの惨状だったと振り返ります。それでも、土曜日の半日勤務を終えた後は、麻雀や野球に明け暮れる充実した日々を送っていました。
坂の上の雲を目指し全員が全力で駆け抜けた熱い昭和の時代
当時の初任給は約4万円でしたが、寮費は2食付きで3,000円程度だったといいます。物価が上昇し続けるインフレの時代だったため、給与も毎年大きくベースアップしていました。「早く買い物をしないと損をする」という特有の熱気が、日本全体を包み込んでいたのです。
若者が自動車を買い、昇進すればマイホームを持つのが当たり前だった時代です。日本人の平均年齢が32歳前後だった当時、人々は前だけを向いて全力で駆け抜けていました。少々の失敗を周囲が温かく許容してくれる、寛大な空気感が社会全体に満ちあふれていたのでしょう。
入社3年目には、相手を論理的に納得させるという営業の本質を掴んだ鈴木氏。若者が夢を持って働けた素晴らしい時代背景が、彼の成長を大きく後押ししたことは間違いありません。失敗を恐れずに挑戦できる環境こそが、次世代のリーダーを育てるために最も必要な要素ではないでしょうか。
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