2019年5月30日、日経平均株価は、約2か月ぶりに2万1,000円の大台を割り込みました。日米首脳会談といった大きなイベントが終了し、株式市場全体に閉塞感や手詰まり感が漂う中で、特定の銘柄群が注目を集めています。それは、久しぶりに、あるいは初めての自社株買いを実施するのではないかと見込まれる企業群なのです。
この状況のモデルケースとして挙げられるのが、2019年5月に史上初の自社株買いを発表した三菱地所でしょう。株主還元へと経営の舵を切るこの瞬間を、特に海外投資家は鋭く見極めています。同社が自社株買いを発表した翌朝、「ついにやりましたね。次はどこでしょうか」と、アジアを拠点とするヘッジファンドから、モルガン・スタンレーMUFG証券の竹村淳郎氏の元に問い合わせの電話が殺到したというエピソードは、この動きへの市場の関心の高さを物語っています。
自社株買いとは、企業が自社の発行済み株式を市場から買い戻すことです。これにより、市場に出回る株式の数が減り、一株当たりの利益(EPS)が高まるため、株価の上昇要因となるのです。最近、この自社株買いを発表する企業が急増しており、2019年4月から5月にかけて公表された2019年度の計画総額は、前年同期と比べてなんと9割増にもなっています。東証株価指数(TOPIX)構成銘柄の予想PER(株価収益率。株価が1株当たり利益の何倍かを示す指標で、低いほど株価が割安と判断されます)が、2018年9月の15倍台から足元で13倍台まで低下し、株価の割安感が強まっていることも、自社株買いが増えやすい背景にあるようです。
サプライズを生む「自社株買い」の破壊力
予期せぬタイミングで発表された自社株買いの株価浮揚効果は非常に大きいものです。例えば、三菱地所株は発表後に株価が9%も急上昇しました。また、2019年5月に発行済み株式(自己株式を除く)の26%という大規模な自社株買いを公表したディー・エヌ・エーに至っては、株価の上昇率が23%にも達しています。初めての、あるいは久しぶりの自社株買いは、「株主還元に対する経営陣の意識が変わったと期待できる」(アバディーン・スタンダード・インベストメンツの窪田慶太氏)ため、市場に大きなインパクトを与えるわけです。
この成功例を受けて、市場では早くも「次の自社株買い銘柄」を探す動きが活発になっています。特に注目されているのが、同業他社に倣って自社株買いが連鎖的に起きる「自社株買いドミノ」現象が起きている業界です。不動産業界では、2017年に野村不動産ホールディングス、2018年に三井不動産がそれぞれ初の自社株買いを発表しており、「横並び意識が三菱地所の判断を後押しした可能性がある」(いちよしアセットマネジメントの秋野充成氏)という見解も出ています。建設業界でも、2016年から継続して実施している大成建設に続き、2019年5月には鹿島が12年ぶりの自社株買いを発表し、このドミノ現象が波及していることが見て取れます。
岡三証券の調査によりますと、2019年4月~5月にサプライズの自社株買いを発表した企業には、同業他社に比べて自己資本比率が高いことや、純現金収支(フリーキャッシュフロー、FCF。企業が自由に使える手元の現金を指します)が潤沢であるといった共通の特徴が確認されています。この特徴を満たしつつ、過去3年以上自社株買いをしていない銘柄として、三浦工業やオービックなどが市場で注目されており、2019年3月末比でそれぞれ32%、13%もの株価上昇を記録しています。
「自社株買い頼み」の市場が示す警鐘
しかし、自社株買いへの期待感だけで銘柄が買われるという状況は、裏を返せば、日本株市場にそれ以外の手掛かり材料が乏しいことの証明でもあります。「日本株は、ガバナンス(企業統治)の改善を示すことでのみ、なんとか外国人投資家の関心をつなぎ留めている」(SMBC日興証券の圷正嗣氏)との厳しい意見も出ています。世界景気の拡大ペースが鈍化し、円安という日本株高を支えてきた要素も期待しづらくなっている今、企業がキャッシュを成長投資ではなく株主還元に回す傾向は、「手放しで喜べるものではない」(三井住友DSアセットマネジメントの小出修氏)と指摘せざるを得ません。
事実、2019年に合計3,000億円もの自社株買いに踏み切ったソニーの株価も、足元では2018年末とほぼ同水準にとどまっている状況です。企業業績が踊り場を迎えている中で、自社株買いへの期待頼みで特定の銘柄が物色される現状は、日本株全体の浮揚力が失われつつあることを示唆しているのではないでしょうか。これは、株主への利益還元という点では歓迎すべき動きであるものの、持続的な成長への投資が不足しているのではないかという、日本経済の未来に対する警鐘でもあると感じています。
この状況に対し、SNSなどでも「自社株買いは短期的な株価対策にすぎないのでは?」「海外投資家は短期の利益しか見てないのか」といった懸念の声や、「でも、経営陣が株主の事を考えている証拠だから評価する」という肯定的な意見が混在しています。投資家としては、単なる自社株買いのニュースに飛びつくのではなく、その裏にある企業の財務状況や長期的な成長戦略を冷静に見極める必要があるでしょう。
| 銘柄 | 自己資本比率(%) | FCF(億円) | 株価上昇率(%) | | :— | :—: | :—: | :—: | | 三浦工 | 71.9 | 145 | 31.7 | | オービック | 89.2 | 216 | 13.4 | | エムスリー | 71.9 | 89 | 11.0 | | 日立ハイテク | 63.8 | 121 | 4.2 | | 大和工 | 81.1 | 113 | 2.6 | | 東洋水 | 76.0 | 36 | 2.4 | | 山九 | 47.9 | 397 | 2.2 |
(注)過去3年以上自社株買いをしていない企業が対象。自己資本比率、FCFは2019年3月期。株価上昇率は2019年3月末比。岡三証券の資料を基に作成。
コメント