認知症予防は「夢」で終わるのか?最新研究が解き明かすアルツハイマー病の真実と早期診断の最前線

2019年05月、日本の製薬大手エーザイの内藤晴夫社長は、決算発表の席で深々と頭を下げました。多くの人々が待ち望んでいたアルツハイマー型認知症治療薬の開発中止が発表され、製薬業界には激震が走ったのです。期待が大きかっただけに市場の失望も深く、2019年03月の中止発表時には株価が約3割も急落する事態となりました。内藤社長は「次世代の特効薬を必ず世に送り出す」と強い決意を語っていますが、認知症という巨大な壁を乗り越える道のりは、想像以上に険しいものと言わざるを得ません。

認知症の約6割を占めるとされるアルツハイマー病ですが、その根本的な原因は、現代医学をもってしても未だ完全には解明されていないのが現状です。各国の研究者は、脳内に「アミロイドβ」などのタンパク質がゴミのように蓄積することが悪影響を及ぼすと推測し、その蓄積を阻害する薬の開発に心血を注いできました。しかし、米バイオジェン社などは「原因となる物質は多岐にわたり、単一の物質を抑えるだけでは不十分だ」との見解を示しており、多角的なアプローチの必要性が浮き彫りになっています。

2000年代に突入してからというもの、世界の主要な製薬会社は約30社にものぼり、投じられた研究開発費は累計で6000億ドル、日本円にして約65兆円という天文学的な数字に達しています。これほどの巨費が投じられながらも、決定的な予防法はいまだ確立されていません。事実、日本で承認されている認知症薬についても、フランスでは費用対効果が見合わないとして公的保険の対象外とされるなど、その治療効果に対して国際的な視線は厳しさを増しているのが現実でしょう。

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数値目標の波紋と「予防できる35%」の衝撃

日本政府は2019年05月、認知症対策の新大綱素案において「70代の認知症患者を10年間で1割減らす」という大胆な数値目標を掲げました。しかし、これには専門家から「確立された予防法がない中で患者を追い詰める」といった批判が相次ぎ、2019年06月に決定した正式な大綱では、目標は「参考値」という表現に留められることとなりました。SNS上でも「病気になることを個人の努力不足のように扱うのは危険だ」という声が広がり、社会全体でこの問題への向き合い方が問われています。

絶望的なニュースばかりではありません。2017年に英医学誌「ランセット」に掲載された衝撃的な研究結果は、世界中に希望の光を灯しました。膨大な論文を統計学的に分析したところ、認知症の原因のうち遺伝的要因はわずか7%に過ぎず、残りの「35%は予防が可能である」と結論づけたのです。ここで言う統計学的解析(メタ解析)とは、過去の複数の研究結果を統合して、より信頼性の高い結論を導き出す高度な手法を指しており、その信憑性は非常に高いと評価されています。

この研究が指摘した最大の意外なリスク要因は、加齢による「聴力の低下」でした。耳が聞こえにくくなると、その9年から17年後に認知症を発症する傾向が顕著に見られるというのです。また、12歳から14歳までの中等教育を終えていない場合もリスクが高まるとされています。教育を通じて脳の基盤を強化する「認知予備能」を高めると同時に、健康への意識を醸成することが、将来的な発症を遅らせる重要な鍵になるのではないかと推測されているのです。

「脳トレ」ブームの火付け役である東北大学の川島隆太教授も、認知症予防の可能性については前向きな見解を示しています。2019年05月中旬には、世界保健機関(WHO)が初となる予防ガイドラインを公表し、運動習慣の定着や禁煙を「強く推奨」しました。これらはエビデンス、つまり科学的な裏付けの質としてはまだ発展途上ではありますが、生活習慣を整えることが脳の健康に直結するという考え方は、今や世界の常識となりつつあるようです。

未来を拓く「マイクロRNA」による超早期診断

私が編集者として最も注目しているのは、発症する前に兆候を捉える「早期診断技術」の劇的な進化です。現在、国立がん研究センターなどのチームは、血液中に含まれる「マイクロRNA」という微小な物質を測定する革新的な手法を研究しています。これは細胞間の情報伝達を担う物質で、そのパターンを解析することで、アルツハイマー型だけでなく脳血管性など、ほぼすべての認知症の発症リスクを事前に予測できる可能性があるというから驚きです。

もし、血液検査だけで将来の病を予測できるようになれば、生活習慣の改善によって「防げるはずの認知症」を確実に回避する道が開かれます。薬による治療が足踏みしている今だからこそ、自分の体の状態を正しく把握し、日々の歩き方や食事を見直すといった地道な取り組みが、最も賢明な対抗策になるのではないでしょうか。認知症を「不可避の運命」として恐れるのではなく、科学の力でコントロール可能な課題へと変えていく過渡期に、私たちは今立っています。

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