大阪の活気あふれる繁栄の象徴、道頓堀。この街の賑わいを支える一翼を担っているのが、「たこ家道頓堀くくる」を展開する白ハト食品工業の永尾俊一社長です。現在55歳の永尾社長は、大学生だった1985年にこの地でたこ焼き屋をスタートさせました。当時の道頓堀は、かつて隆盛を誇った劇場が姿を消し、映画館へと移り変わる過渡期にありました。そんな中で彼は、単なる飲食店ではない、エンターテインメント性を兼ね備えた「創作たこ焼きレストラン」という斬新なスタイルを打ち出したのです。
永尾社長が大切にしているのは、歌舞伎の語源でもある「傾(かぶ)く」という精神です。これは、常識にとらわれない風変わりなアイデアで人々を驚かせ、楽しませるという究極のサービス精神を意味しています。自らたこ焼きを焼くスタイルや、イカやチーズを取り入れた変わり種の提供は、当時2軒しかたこ焼き屋がなかった道頓堀において、まさに「傾いた」挑戦でした。SNSでも「くくるのたこ焼きは体験そのものが楽しい」といった声が多く、その独創性は今も人々を魅了し続けています。
変化を恐れない道頓堀の懐深さと、上海から万博へ繋がる未来
昨今のインバウンド需要の高まりにより、道頓堀は外国人観光客で溢れかえっています。「ドラッグストアとたこ焼き屋ばかりだ」という冷ややかな評価を耳にすることもありますが、永尾社長はこれに真っ向から反論します。変化に適応できない店は生き残れないという、この街の厳しさと、新しいものを受け入れる懐の深さこそが道頓堀の真髄だからです。2019年08月14日現在、まもなく35周年を迎える「くくる」は、この変化の激しい街において、もはや老舗の風格すら漂わせています。
2010年に開催された上海万博での成功は、たこ焼きが世界へと羽ばたく大きな転換点となりました。巨大なタコの立体看板を掲げた日本産業館のブースには連日長蛇の列ができ、今でも多くの中国人客が「上海で食べたよ!」と声をかけてくれるそうです。この成功体験を糧に、永尾社長は2025年に開催予定の大阪・関西万博を見据えています。大阪独自のエネルギーを世界に発信し、たこ焼きを「日本の名物」へと昇華させる絶好の機会だと、彼は並々ならぬ情熱を燃やしています。
外国人材という新しい風が、日本企業のハングリー精神を呼び覚ます
万博という大きな目標に向けて、永尾社長が急務と考えているのが外国人材の積極的な受け入れです。新卒採用の現場で彼らと接する中で、日本人が忘れかけている強い「ハングリー精神」を肌で感じているからです。ハングリー精神とは、現状に満足せず、より高みを目指して困難に立ち向かう強い意志を指します。激しい競争を経験してこなかった平成生まれの日本人社員にとって、異なる背景を持つ外国人の存在は、何物にも代えがたい良き刺激になると考えています。
最近の風潮として、離職を恐れるあまり新卒社員を過剰に丁重に扱う傾向がありますが、永尾社長はこれに警鐘を鳴らします。世界で戦うためには、甘やかすのではなく、強い精神力を持った人材を育成しなければなりません。異なる価値観がぶつかり合うことで生まれる化学反応こそが、組織を強くし、グローバル社会で通用する企業文化を創り出すのです。多様性を受け入れ、切磋琢磨する土壌を作ることこそが、これからの関西企業に求められる姿勢だと言えるでしょう。
「いも・たこ・なんきん」に込める、時代を超えた普遍のニーズ
白ハト食品工業のもう一つの顔が、スイートポテトで有名な「らぽっぽ」です。同社の歩みは1947年に永尾社長の祖父が始めた小さなアイスクリーム屋から始まりました。冬の目玉商品を模索する中で誕生したスイートポテトは、前回の大阪万博が開催された1970年に発売されました。江戸時代の作家・井原西鶴が「芝居、浄瑠璃、いもたこなんきん」と説いた通り、女性が好むものはいつの時代も変わりません。小学生時代の永尾社長が、女子同級生にいもをせがまれた経験が、今の商売の原点となっています。
私は、永尾社長の「傾く」精神こそが、停滞しがちな日本経済に最も必要なエッセンスだと感じます。伝統を守るだけでなく、常に驚きを提供し続ける姿勢は、単なるビジネスモデルを超えた「粋」な生き様です。2025年の万博に向けて、大阪が再び世界の中心で輝くためのヒントは、この道頓堀のたこ焼き器の中に詰まっているのかもしれません。こだわりのある本物は必ず支持されるという彼の信念は、情報過多な現代において、より一層強い説得力を持って響くはずです。
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