東京2020まで1年!マセソン美季さんが語るパラリンピック教育の真髄と「アイムポッシブル」が変える日本の未来

2019年08月26日、東京パラリンピックの開幕がいよいよ1年後に迫りました。この記念すべきタイミングで、国際パラリンピック委員会(IPC)の教育委員を務めるマセソン美季さんが、熱い想いを持って奔走しています。彼女は現在46歳、長野パラリンピックのアイススレッジスピードレースで金メダルを獲得した輝かしい経歴の持ち主です。交通事故によって車いす生活となった自身の経験を糧に、子供たちへの「パラ教育」の普及に全力を注いでいます。

皆さんは「パラリンピック」と聞いて、真っ先にどのようなイメージを浮かべるでしょうか。多くの方は、障害を持つ人々による特別なスポーツの祭典だと捉えるかもしれませんね。しかし、マセソンさんは「障害」という言葉に付随しがちな「かわいそう」「大変そう」といった先入観を払拭したいと考えています。パラアスリートたちは、決して自身の障害を言い訳にはしません。むしろ、残された機能を最大限に活用し、自らの可能性をどこまで広げられるかに挑み続けているのです。

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「できない」を「できる」に変える魔法の教材

そんな人間の無限の可能性に光を当てるため、マセソンさんが制作に携わったのが「アイムポッシブル(I’mPOSSIBLE)」という教材です。この名称は「Impossible(不可能)」という単語にアポストロフィを加えることで「I’m possible(私はできる)」へと変える、パラリンピックの哲学を象徴しています。日本財団パラリンピックサポートセンターの力強いバックアップを得て誕生したこの教材は、IPC公認として日本のみならず世界中の教育現場での活用が期待されているのですよ。

教材の構成は、非常に体系的で分かりやすい3部構成になっています。まずはパラリンピックの競技や歴史について基礎を学び、次にパラリンピックが持つ独自の価値観を深く考察します。そして最終的には「共生社会」についての理解を深めていく流れです。ここで言う共生社会とは、障害の有無に関わらず、誰もが個性を尊重し合い、支え合って暮らしていく社会を指します。子供たちが抱く「憐れみ」の感情を、選手への「憧れ」へと昇華させることが狙いなのです。

日常のバリアを子供たちのアイデアで解決する

授業では、具体的なシチュエーションを想像させる工夫が凝らされています。例えば、超人的なパフォーマンスを披露するパラアスリートが学校を訪れる際、どのような準備が必要かを問いかけます。競技場では誰よりも速く動ける選手であっても、一歩街に出れば階段や狭い通路が行く手を阻む壁となるかもしれません。選手の視点に立って周囲の「バリア(障壁)」を発見し、みんなで解決策を模索するプロセスこそが、新しい学びの形と言えるでしょう。

また、公平性について考えるワークショップも非常に興味深い内容です。クラスに車いすの友達がいる状況で「玉入れ」を楽しむにはどうすれば良いか、子供たちに知恵を絞ってもらいます。正解は決して一つではなく、何よりも当事者である車いすの子の意見を尊重し、対話を重ねることが大切なのです。こうした経験を通じて、子供たちは多様性を受け入れる土壌を育んでいきます。SNS上でも「パラ教育は大人こそ受けるべき」「視点が変わった」という共感の声が広がっていますね。

教育こそが偏見の鎖を断ち切る唯一の鍵

マセソンさんが教育の道を選んだ背景には、深い信念がありました。結婚を機にカナダへ渡り、現地の小学校で教壇に立っていた彼女は、東京大会の開催を機に日本での教育活動に身を投じる決意を固めたのです。かつて怪我をした際、彼女が最も心を痛めたのは身体の不自由さではなく、周囲からの偏見や差別の視線でした。何も変わらない「自分」という一人の人間が、車いすに乗っているというだけで特別な目で見られる現実に直面したからです。

その違和感の正体について、故・横田洋三先生は「それは教育の問題である」と断言されました。大人の価値観が子供に無意識のうちに刷り込まれる「無言の教育」が、偏見を生む土壌になっているという指摘に、マセソンさんは強い衝撃を受けたそうです。この気づきこそが、彼女を突き動かす原動力となりました。次世代を担う子供たちの意識を根底から変えることこそが、本当の意味でのバリアフリー社会を実現する最短ルートなのだと、私は強く確信しています。

編集者としての意見ですが、マセソンさんの活動は単なるスポーツ振興の枠を超え、日本社会の「心の在り方」を問うていると感じます。障害を欠落と捉えるのではなく、一つの個性として当たり前に存在する社会を作るためには、幼少期からのこうした教育が不可欠でしょう。1年後の大会が、単なる一過性のイベントで終わるのではなく、日本の教育文化が大きく進化する転換点となることを願ってやみません。皆さんも、まずは身近な「当たり前」を疑うことから始めてみませんか。

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