1982年、一橋大学への移籍を控えていた野中郁次郎氏のもとへ、米国ハーバード大学から驚きの依頼が舞い込みました。それは、ハーバード・ビジネス・スクール創立75周年の節目を飾るシンポジウムに向けた共同研究の打診だったのです。当時、世界を席巻していた日本企業の強さの秘密を解き明かしたいという、米国最高峰の知性からの熱烈なラブコールでした。
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と称えられ、日本製の高品質と開発スピードが世界を驚かせていた1980年代初頭。研究チームは、富士ゼロックスの複写機「FX3500」やホンダの「シティ」といった伝説的ヒット商品の舞台裏を徹底的に調査しました。そこで目にしたのは、従来の組織論では到底説明しきれない、日本独自の泥臭くもダイナミックな開発現場の熱気だったといいます。
「刺身」と「ラグビー」が変えた新製品開発の常識
調査の過程で浮かび上がったのは、複数の部門が重なり合いながら進む「刺身状開発」というユニークな手法でした。これは、刺身の切り身を少しずつ重ねて盛り付けるように、設計・製造・営業が同時並行で動く体制を指します。また、各チームがスクラムを組んで突き進む姿は、まさにラグビーそのものでした。この一連の動きこそが、後の「アジャイル開発」の原型となったのです。
「アジャイル開発」とは、大きな計画を一度に作るのではなく、短期間で設計・実装・テストを何度も繰り返す、現代のソフトウェア開発におけるスタンダードな手法です。SNSでも「アジャイルの根源が日本の製造業にあったとは胸が熱くなる」といった反響が寄せられています。欧米の合理主義とは一線を画す、日本企業の現場力が世界標準を生み出すきっかけとなった事実は見逃せません。
「知識創造」へ――情報処理を超えた真のイノベーション
野中氏は、当時の主流だった「情報処理」という受動的な理論に限界を感じていました。現場で働く一人ひとりの熱い思いや葛藤、そして「新しい価値を創る」という冒険心こそが、真のイノベーションを支えていると確信したからです。既存の情報を組み合わせるだけの段階から、自らの信念を形にする「知識創造」のプロセスへと、氏の理論は大きな進化を遂げていきました。
1986年に発表された論文『新しい新製品開発ゲーム』は、全米で大きな旋風を巻き起こしました。私は、この「知識創造」こそが現代の閉塞感を打ち破る鍵だと考えます。単なる効率化を求める「情報処理」に終始するのではなく、自分たちが何を美しいと感じ、何を成し遂げたいかという「主観」を組織の力に変えていく。その原点が、この1980年代の熱き挑戦の中に刻まれているのです。
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