村上春樹の原風景を歩く。阪神大震災の傷痕と「ノルウェイの森」以前の物語を巡る西宮・神戸紀行

「故郷について書くのは、とても難しい」。世界的な作家である村上春樹さんは、自身の紀行文『辺境・近境』の中で、阪神大震災の爪痕が生々しく残る1997年05月の兵庫県を歩き、そう綴っています。ノーベル文学賞の有力候補として期待がかかる2019年10月08日現在、私たちは彼が歩んだ約15キロの道のりを辿り、その記憶の断片を探す旅に出ました。

村上さんは京都生まれですが、幼少期に西宮市の夙川へ移り、その後は芦屋市で10代の多感な時期を過ごしました。いわば阪神間は彼の創作の源流とも言える場所です。旅の起点となる阪神西宮駅の南側には、彼が小学生の頃に親しんだ商店街が広がっています。そこには震災の瞬間に時を止めた時計のモニュメントが鎮座し、今もなお、あの日から続く人々の葛藤を静かに物語っているようです。

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震災の記憶を刻む神社と学び舎

商売繁盛の神様として親しまれる西宮神社は、村上さんが幼い頃の遊び場でした。震災で倒壊した灯籠は修復されていますが、よく見ると角が欠けたままの箇所があり、当時の衝撃の大きさを伝えています。さらに西へ進み、村上さんの母校である芦屋市立精道中学校を通り過ぎます。学校の図書室には、偉大なOBである彼の作品を集めたコーナーがあり、後輩たちへとその物語が受け継がれているのです。

村上さんの足跡は、母校である兵庫県立神戸高校にも残っています。急勾配の坂道の先にある「おおとり門」は、震災による倒壊を経て復元された、不屈のシンボルとも言える校門です。SNS上でも「春樹さんの母校巡りは、坂道が険しいけれど景色が最高」といった声が寄せられており、彼が日々見つめていたであろう神戸の街並みが、作品の透明感に影響を与えていることを予感させます。

物語の舞台「ピノッキオ」で味わう特別な1枚

旅の締めくくりは、三宮にある老舗レストラン「ピノッキオ」です。ここは村上さんがかつて交際相手と何度も訪れた場所として知られ、毎年ノーベル文学賞の発表日には多くのファンが集う聖地となっています。名物のピザには通し番号が添えられており、村上さんが食べた「95万8816枚目」から時を経て、現在は139万枚を超えて提供され続けています。

震災時、店内は食器や瓶の破片が散乱し、再開までには約1カ月を要したそうです。20年以上が経過した2019年09月の今でも、街の風景や人々の心には、震災の記憶が深く刻まれています。しかし、同時にそこには新しい日常を紡ぐ力強さも溢れていました。村上さんが歩いた道を辿ることで、私たちは単なる観光以上の、生きた歴史と文学の交差点に立ち会うことができるのではないでしょうか。

SNSでは「聖地巡礼を通じて、震災を風化させない大切さを知った」という意見も多く見られます。皆さんも一冊の文庫本を片手に、彼が見た景色を歩いてみませんか?

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