「コバチュウ」という愛らしい愛称からは想像もつかないほど、その人物は圧倒的な威厳と凄みに満ちていました。戦後の焼け野原から日本の復興を牽引した巨星、小林中氏。富国生命保険の基盤を築き、日本開発銀行の初代総裁や日本航空会長など、国家の命運を握る要職を歴任した伝説の経済人です。私は運命に導かれるように、この偉大な先達に仕える機会を手にしました。
1959年04月01日に富国生命へ入社し、経理部でキャリアを歩み始めた私に転機が訪れたのは、入社3年目のことでした。「小林事務所勤務を命ずる」という一通の辞令。当時、公職を退き「天下の素浪人」と称されていた小林氏を支える秘書として、古巣である弊社から派遣されることになったのです。この出会いが、私の人生を大きく変えることになります。
「天下の素浪人」とは、特定の役職に縛られず、自由な立場で政財界に強い影響力を持つ人物を指す敬称に近い言葉です。小林氏の事務所には、日々、日本の未来を左右する政財官界の大物たちがひっきりなしに訪れていました。間近で見るその光景は、若き日の私にとって刺激に満ちた学びの場であり、まさに国家が動く瞬間を肌で感じる貴重な時間だったと言えるでしょう。
日の丸油田に懸けた情熱とエジプトでの記憶
充電期間を経て、1968年に小林氏はアラビア石油の社長として表舞台へと復帰を果たします。当時の石坂泰三経団連会長らからの熱烈な要請に応えた形でした。掲載した写真は、就任の挨拶のために中東を歴訪した際、経由地のエジプト・カイロ空港で撮影された思い出の一枚です。灼熱の地で見せた師の表情には、日本のエネルギー自給を担う覚悟が滲んでいました。
サウジアラビアやクウェートでの歓迎ぶりは、まさに国賓級の厚遇でした。これは、日本資本のみで開発を進める「日の丸油田」プロジェクトがいかに重い期待を背負っていたかの証左です。SNS上でも「かつての日本にはこれほど骨のある経済人がいたのか」と、当時のリーダーたちのスケールの大きさに驚嘆する声が上がっています。現代のビジネスマンにとっても、その気概は指針となるはずです。
小林氏は1981年10月28日に82歳でこの世を去りましたが、私が秘書として共に歩んだ歳月は20年にも及びました。私にとって生涯唯一の師である彼には、理屈では説明できない不思議な人間的魅力が備わっていたのです。偉大な背中を見続けてきた経験は、何物にも代えがたい私の「こころの玉手箱」であり、今の自分を支える揺るぎない礎となっているのは間違いありません。
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