移民と福祉は「二律背反」ではない?多様性と社会保障を両立させるカナダの教訓と米国の挑戦

アメリカ人は、北の隣国カナダの人々の方が自分たちより理知的で寛容だと言われることを、あまり快く思わないかもしれません。しかし、現実に目を向けると興味深い事実が浮かび上がってきます。2019年10月21日に投開票が行われたカナダ総選挙では、ジャスティン・トルドー首相の続投が確実となりました。この結果は、私たちが抱いている「ある種の思い込み」を再認識させるきっかけとなったのです。

カナダという国は、国民の約20%が外国生まれという、アメリカを上回る移民大国です。それにもかかわらず、国民皆保険制度を維持し、ドイツ並みの所得再分配、つまり富を公平に分け合う仕組みを高い水準で実現しています。選挙では多くの有権者が福祉の充実を掲げる政党に票を投じました。SNSでも「カナダのモデルは理想的だ」という称賛と、「アメリカでは不可能だ」という諦めが混ざり合った複雑な反応が見られます。

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「多様性」と「互助」は本当に両立できないのか?

近年、欧米の政治シーンでは「コスモポリタンな社会民主主義は現実的ではない」という声が強まっています。これは、国籍や民族の枠を超えたリベラルな福祉国家は維持できないという主張です。その背景には、市民同士の共通項が減れば、互いに税金で支え合おうとする意識が薄れるという「二律背反」の理論があります。二律背反とは、二つの相反する事柄が、一方が成立すればもう一方が成立しないという矛盾した状態を指します。

しかし、世界を見渡せばフランスや北欧諸国、そしてオーストラリアのように、高い移民比率と手厚い福祉を両立させている国は存在します。アメリカにおいても、2020年の大統領選に向けてバーニー・サンダース氏やエリザベス・ウォーレン氏といった左派候補が躍進しています。彼らが目指すのは、移民を温かく迎え入れながら政府による支援を拡大させるという、これまでのアメリカ史にはなかった新しい国家の形なのです。

かつてのニューディール政策などは、実はある程度の「排他性」を前提に成立していました。しかし、サンダース氏やウォーレン氏の掲げる「大きな政府」は、偏狭な愛国心とは無縁のものです。私は、これこそが21世紀型の真に成熟した国家像であると考えます。経済的な格差が広がる現代において、移民をスケープゴートにするのではなく、すべての住民が安心して暮らせる社会基盤を整えることこそ、メディアが伝えるべき本質的な議論ではないでしょうか。

変わりゆくアメリカ世論と未来への選択

トランプ政権下で移民排斥の声が目立つ一方、意外にも世論調査では移民への拒絶反応が和らいでいる兆しも見られます。アメリカ人はもともと「自分の力で生き抜く」という個人主義的な開拓者精神が強いと言われてきましたが、今や多くの人々がよりリベラルな、分配を重視する政策に耳を傾けるようになっています。福祉を優先するか、移民を受け入れるかという議論は、かつての「大砲かバターか」という軍備と生活の二択のような極端な論争になりつつあります。

しかし、移民と福祉が矛盾するという論理に、決定的な根拠があるわけではありません。もし人々が移民への所得分配を嫌うのであれば、同時に「自分たちの仕事が奪われる」ことにも敏感になるはずですが、そのバランスは時代によって変化します。ウォーレン氏らは、自身の勝利によってこの「二者択一」が誤りであることを証明しようとしています。私たちは今、多様性を力に変えながら、お互いを支え合う新しい社会の実験場に立ち会っているのかもしれません。

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