「指図しない」リーダーシップの原点。日本ユニシス平岡社長が1992年に学んだ「仮説・検証」と「任せる勇気」

優れたリーダーは、若き日の「修羅場」で何を学んだのでしょうか。日本ユニシス(現・BIPROGY)の社長を務めた平岡昭良氏が語る「課長時代」の経験は、まさに現代の私たちに響く教訓に満ちています。SNSでも「答えのない仕事に挑む姿勢、見習いたい」「年上の部下との仕事の進め方、参考になる」と話題を集めました。

平岡氏が労働省(現・厚生労働省)担当の営業主任(課長クラス)となったのは1992年のこと。これは、IT業界が「メインフレーム」と呼ばれる大型コンピュータ中心の時代から、小型機を組み合わせる「ダウンサイジング」へと移行する激動の時代でした。平岡氏が任されたのは、全国の職業訓練大学向け教育システムの一括納入という、前例のないプロジェクトだったのです。

当時の同社は自社製品を売るのが主流で、40社から50社にも及ぶ他社製品を組み合わせてシステムを構築するノウハウはゼロ。持ち込んだ機器同士の電源さえ入らないというトラブルも日常茶飯事でした。現在では当たり前の「接続検証」という概念すらなかった時代、営業とエンジニアが一体となり、徹夜でシステムを組む日々が続いたそうです。

チームには年上のエンジニアも多い中、平岡氏は「指図」するのではなく、チーム全員で「仮説・検証を繰り返しながら試す」というサイクルを回す手法を選びました。リーダー自身が答えを持っていないからこそ、全員で知恵を出し合う。この経験を通じて、平岡氏は「正解のない仕事にチームで取り組む方法」の礎を築いたと語ります。

もう一つの学びは「任せるチームビルディング」でした。全国に散らばる若手営業に、ただ任せきりにするのではありません。提案書の核となる「自分たちの強み」はチーム全員で徹底的に議論し、定義する。そうして生まれたコアの部分を共有した上で、各自が自分の言葉でプレゼンする。このプロセスが、「自分もチームに貢献できている」という「納得感」を生み、個人プレーになりがちな営業を強いチームプレーへと変貌させたのです。

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