【広津崇亮氏の原点】1ミリの線虫でがん検診に革命を!野球少年が育んだ「集中力」と「書く力」の秘密

わずか1ミリの線虫を使って、がんの早期発見に挑むHIROTSUバイオサイエンス。その代表を務める広津崇亮氏の人生を紐解くと、意外にも研究室の中ではなく、瀬戸内の潮風と白球を追うグラウンドにその原点がありました。お父様はかつて弁護士を目指し、あと一歩のところで夢を断念されたという苦労人です。その後はメーカーの技術者として一家を支え、広津氏は父の転勤に伴って山口県から関西へと移り住むことになりました。

生まれ故郷である山口県の周防大島は、瀬戸内海に浮かぶ美しい島です。広津氏の記憶には、澄み渡る青い海と、斜面を彩るみかんの鮮やかな黄色が今も鮮明に焼き付いているといいます。自然豊かな環境で産声を上げた少年は、2歳で大阪府高槻市へ、そして小学校2年生の時には京都府京田辺市へと拠点を移しました。当時の京田辺市は、現在の研究都市としての面影はなく、のんびりとした空気が流れる住宅街だったそうです。

そんな広津少年が小学校時代に抱いていた夢は、意外にも科学者ではなく「プロ野球選手」でした。当時はPL学園の桑田真澄選手や清原和博選手が甲子園を席巻していた黄金時代です。広津氏もその熱狂の渦中にあり、地元の強豪チーム「大住クラブ」に入団しました。エースピッチャーとしてマウンドに立ち、打席に立てば5番打者としてホームランを量産するという、まさにチームの主軸として輝かしい活躍を見せていたのです。

特筆すべきは、スポーツに打ち込みながらも学業において一切の妥協がなかった点でしょう。宿題を忘れることはおろか、夏休みの課題も初動で終わらせてしまうほど、当時から高い自己管理能力を備えていました。SNS上では「天才肌なのに努力家すぎる」「その集中力が今の研究に活きているのでは」といった驚きの声が上がっています。一つのことに没頭しつつ、やるべき義務を完璧にこなす姿勢は、この頃すでに完成されていたのかもしれません。

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受け継がれた「書く力」と母の愛情

野球に明け暮れる一方で、広津氏は「文章を書くこと」にも類まれな才能を発揮していました。小学校5年生の時には、学年代表として執筆した「勇気」という作文が、1980年代の京都新聞に掲載されるという快挙を成し遂げます。現在、がん検診という未知の領域に挑む彼にとって、「勇気」というテーマはまさに運命的な符合を感じさせます。論理的な思考が求められる科学者にとって、作文で培った表現力は大きな武器となっているはずです。

お母様はこの新聞記事を、息子への深い愛情とともに大切に保管されていました。2019年11月26日現在、広津氏の手元には、黄色く色褪せた当時の切り抜きが残されています。年月を経てセピア色に染まった紙片は、彼が歩んできた努力の軌跡そのものでしょう。父の不屈の精神と母の細やかな愛情、そして野球で鍛えた勝負強さ。これら全ての要素が混ざり合い、世界を救う「線虫がん検査」という壮大な事業の礎となっているのです。

私は、広津氏の「宿題を先に済ませる」というエピソードに、研究者としての誠実さを強く感じました。地道な作業を厭わず、目標から逆算して行動する力こそが、1ミリの生物に人類の未来を託すという大胆な発想を支えているのではないでしょうか。少年時代の「勇気」という言葉を胸に、彼は今、医療の常識を塗り替えようとしています。これからの広津氏がどのような景色を私たちに見せてくれるのか、期待に胸が膨らみます。

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