ラグビーワールドカップ2019日本大会が閉幕し、およそ3週間が経過しました。日本中に感動の嵐が吹き荒れる中、特に熱い視線を浴びているのが、新潟県出身の「笑わない男」こと稲垣啓太選手です。彼の故郷である新潟県内では、現在も凄まじいラグビーフィーバーが続いていますが、その熱狂の裏で、ある「後悔」の念が関係者の間で渦巻いています。
実は今回の歴史的な大会において、新潟県は開催地として立候補することすら叶いませんでした。かつて存在した開催地招致のチャンスを、なぜ新潟は逃してしまったのでしょうか。当時の教訓を改めて紐解くとともに、次なる大会招致に向けた、新潟の新たな挑戦がすでにキックオフを迎えています。SNSでも「もしビッグスワンで試合があれば…」と惜しむ声が絶えません。
「地の利」を活かせなかった招致活動の舞台裏
時計の針を2014年に戻しましょう。当時、新潟県ラグビー協会は「デンカビッグスワンスタジアム」での試合開催を強く希望していました。この競技場は2002年のサッカーW杯日韓大会でも使用された実績があり、ハード面での準備は万全でした。しかし、肝心の自治体である新潟県側は、運営費用の負担や情報開示の不足を理由に、慎重な姿勢を崩さなかったのです。
新潟県協会は1万5000人分もの署名を集め、2014年1月には正式に要望を行いました。当時の日本ラグビー協会幹部からも「本州の日本海側に会場がない。ぜひ名乗りを上げてほしい」と熱烈なラブコールを受けていたにもかかわらず、2014年10月末の締め切りまでに県が首を縦に振ることはなく、開催の夢は幻となって消えてしまいました。
当時の県側からは「新潟はラグビーが盛んではない」という手厳しい言葉も投げかけられたそうです。しかし、今の盛り上がりを見れば、その認識がどれほど勿体ないものだったかは明白でしょう。花角英世知事も、2019年10月下旬の会見において「結果論ではあるが、誘致できなかったのは残念だった」と、複雑な胸中を吐露しています。
稲垣熱を逃さない!独自の「新潟スタイル」で再始動
開催地になれなかったからといって、新潟のラグビー愛が消えたわけではありません。三膳惣一会長率いる県協会は、稲垣選手を応援する会を立ち上げ、100社を超える企業や1000人の個人から協賛金を募りました。パブリックビューイング(スタジアム等の大型映像装置で試合を観戦するイベント)を開催し、地元の熱意を全国に発信したのです。
稲垣選手の似顔絵入りTシャツを身に纏った大応援団の姿は、日本代表として戦う彼自身の耳にも届いていました。稲垣選手は「会場でTシャツが目に入り、とても勇気をもらいました」と感謝を述べており、この一体感こそが新潟の強みです。2020年2月には、彼が所属するパナソニックの試合を応援するバスツアーも計画されており、ファンの熱気は最高潮です。
個人的な意見を言わせていただくなら、行政の慎重さは理解できるものの、こうした民間の爆発的なエネルギーを当時の招致活動に直結できていれば、新潟の景色は今頃違っていたはずです。しかし、過去を悔やむばかりでは進歩はありません。大切なのは、この「稲垣熱」を一過性の流行で終わらせず、確固たる文化として根付かせることにあるでしょう。
育成のスペシャリストが新潟に新風を吹き込む
未来への明るい兆しは、教育の現場からも現れています。2020年4月、新潟食料農業大学にラグビー部が新設されます。監督に就任するのは、福岡の強豪・東福岡高校を全国制覇へ導いた名将、谷崎重幸氏です。同氏は、強豪国ニュージーランドの育成スタイルを日本に持ち込み、若手育成に革命を起こしたレジェンドとして知られています。
谷崎氏は「他県の真似ではなく、新潟独自の育成システムを構築する必要がある」と力説しています。日本ラグビー協会は、今後20年以内に再びワールドカップを日本に招致する構想を掲げています。大分や神戸といったかつてのライバル都市に遅れをとらないよう、新潟は今、20年後のリベンジに向けて再び走り出しました。
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