2019年6月20日、函館の歴史と文化を伝える「箱館五稜郭祭(はこだてごりょうかくまつり)」の重鎮である、実行委員長の中野豊氏(84歳・五稜郭タワー会長)の取り組みに注目が集まっています。中野氏は、日本の歴史において非常に重要な転換点である戊辰戦争(ぼしんせんそう)の最後の舞台となった五稜郭(ごりょうかく)を舞台とするこの祭りで、2019年5月18日から19日にかけて開催されたパレードでは、新政府軍の参謀(さんぼう)である黒田清隆(くろだきよたか)役を見事に務められました。
この五稜郭祭は、単なる華やかなイベントとしてではなく、旧幕府軍の戦死者を慰霊(いれい)する碧血碑(へっけつひ)をはじめ、ゆかりの地での慰霊行事から始まることに、その深い意義が込められています。中野氏は、祭りのあいさつの中で、「新しい日本が生まれる過程で多くの血が流されましたが、戦った人々はそれぞれに強い思いを抱いていた」と述べ、敵味方の両軍に等しく敬意を表されました。このような姿勢は、五稜郭祭が持つ歴史的な重みや、単なるお祭り騒ぎに終わらないという強いメッセージを、来場者へと伝えているでしょう。
函館の歴史を未来へつなぐ情熱
五稜郭祭が始まったのは1970年のことです。当時、函館市民でさえ幕末から明治維新にかけての歴史、特に五稜郭にまつわる歴史に関心を持つ人が少なかったため、地元の商店主たちが歴史の周知を目的に立ち上げました。中野氏は1964年に父親が開業させた五稜郭タワーの仕事を手伝うために東京から函館へ移住し、その後、この祭りに深く関わるようになります。そして、1999年の祭りからは実行委員長という重責を担い、さらにはタワーの社長職も継承され、函館のランドマークであるタワーの高さ107メートルへの建て替えという大きなプロジェクトも実現させています。
中野氏は今年、戊辰戦争終結150周年記念事業実行委員会の会長も兼任されており、その精力的な活動は多岐にわたります。戊辰戦争は五稜郭だけでなく、松前藩(まつまえはん)など道南(どうなん)の広範囲を巻き込んだ戦いです。そのため、国内外の歴史ファンや地元住民の方々に、函館以外の様々な史跡にも足を運んでほしいという強い願いから、現在、解説付きの標柱(ひょうちゅう)を各地に設置する活動を推進中です。これにより、歴史的な背景や当時の状況がより深く理解できるようになるでしょう。
インターネット上、特にSNSでは、五稜郭祭のパレードや中野氏の活動に関して、「地元の歴史への敬意が素晴らしい」「解説付きの標柱設置はとてもありがたい取り組み」といった好意的な意見が多く見受けられます。また、「五稜郭タワーの建て替えも歴史への情熱があってこそ」と、中野氏の取り組みをタワー事業と結びつけて評価する声も上がっています。
未来へ託す課題と新たな視点
今回の2019年の祭りは、記念すべき50回目の開催となりました。これを機に、中野氏は実行委員長を勇退されることを検討されているそうです。この祭りを立ち上げた中小の商店が減少している現代において、どのようにしてこの歴史的な祭りを継続していくのか、また、戊辰戦争という激しい戦いの前、平和だった開港直後の箱館(はこだて)に、どうすれば人々がもっと注目するようになるのかといった課題を感じていらっしゃるでしょう。
私の意見としましては、戊辰戦争や五稜郭の歴史は、ただ悲劇や戦闘の物語として語られるだけでなく、日本という国が近代国家へと変貌を遂げる過程で、様々な価値観がぶつかり合い、そして新しい時代が切り開かれた物語として、今後も多角的に伝えるべきだと考えます。中野氏が長年尽力されてきた、旧幕府軍と新政府軍、双方の思いに光を当てるという姿勢こそ、歴史を未来へつなぐ上で最も重要であると言えるでしょう。
中野氏は、「これまで感じてきた課題の解決に向けて、これからも尽力したい」と強い決意を語っておられます。函館の開港(かいこう)と戊辰戦争の歴史を現代に蘇らせ、多くの人々にその深い意味を伝えようとする中野氏の情熱は、函館の歴史観光において、計り知れない価値を生み出し続けていくに違いありません。
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