世界最古の木造建築として知られ、日本で初めて世界文化遺産に登録された奈良の名刹、法隆寺。その頂点に立つ貫主(住職)と聞けば、誰もが厳格で近寄りがたい高僧の姿を想像するかもしれません。しかし、2019年10月25日に71歳でこの世を去った大野玄妙さんは、そんな先入観を鮮やかに裏切る、温かな笑顔が魅力的な人物でした。
大野さんの最大の持ち味は、初対面の相手が抱く緊張感を一瞬で溶かしてしまうような、底抜けに明るい人懐っこさにありました。その表情には、聖職者としての気高さだけでなく、どこか親しみやすい「人間味」が溢れていたのです。悩みを抱えて寺を訪れる人々にとって、彼の広大な包容力は、まさに救いの手そのものであったに違いありません。
現代に息づく「十七条憲法」という処方箋
大野さんは、聖徳太子が制定したとされる「十七条憲法」を常に折り畳んで持ち歩いていました。冒頭の「和を以(もっ)て貴(とうと)しとなす」という言葉は有名ですが、彼はこれを単なる歴史的な政治理念とは考えていませんでした。むしろ、複雑な現代社会における対人関係やトラブルを解決するための「箴言(しんげん)」、つまり戒めの言葉として重宝していたのです。
箴言とは、生きていく上での教訓を含んだ短い言葉を指しますが、大野さんにとってこの憲法は、日常のあらゆる問題に対するヒントが詰まった宝箱のような存在でした。SNS上でも「法隆寺の住職が憲法を肌身離さず持っていたというエピソードに、信念の強さを感じる」といった声が上がっており、その実直な姿勢は多くの人々の心に深い感銘を与えています。
また、大野さんは太子の教えを説く際にも、ユーモアを忘れることはありませんでした。「聖徳太子の肖像画を再びお札のデザインに採用すれば、かつての高度経済成長期のように日本も元気を取り戻すはず」と、お茶目に持論を語る姿は多くの檀信徒に愛されました。こうした愛嬌のある振る舞いこそが、格式高い寺院をより身近な存在へと変えていったのでしょう。
伝統を守り、未来へ繋ぐ「和」のバトン
私は、大野さんのこうした柔軟な姿勢こそが、伝統を形骸化させないための鍵であったと確信しています。歴史の重みにあぐらをかくのではなく、現代人の悩みに寄り添い、太子の精神を分かりやすく翻訳して伝える努力を怠りませんでした。彼が体現した「和」とは、単に争わないことではなく、相手を認め合い、歩み寄るという能動的な優しさだったはずです。
2019年11月15日現在、法隆寺を支えた大きな柱を失った喪失感は計り知れません。しかし、彼が遺した笑顔の記憶と、懐に忍ばせていた太子の教えは、これからも多くの人々の指針となり続けるでしょう。伝統を守る誇りと、市井の人々と同じ目線で笑い合う親しみやすさ。その絶妙なバランスこそが、大野玄妙さんという稀代の僧侶が遺した最大の功績ではないでしょうか。
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