大嘗祭から読み解く「国家と宗教」の理想形とは?WSJ東京支局長が語る皇室の伝統と政教分離のジレンマ

2019年11月13日、世界が注目する中で執り行われる皇位継承の重要儀式「大嘗祭(だいじょうさい)」。この1400年もの歴史を持つ神秘的な儀式を、海外の視点はどう捉えているのでしょうか。ウォール・ストリート・ジャーナル東京支局長のピーター・ランダース氏は、日本の皇室が持つ驚異的な持続性を、カトリックのローマ教皇になぞらえて高く評価しています。

SNS上では、伝統文化としての価値を尊重する声がある一方で、公費負担の是非を問う意見も飛び交い、今まさに議論が白熱しています。アメリカ人の視点から見れば、日本の天皇はイギリス王室のような「政治的権限を持たない象徴」として親しまれる存在です。特に前天皇による平和への歩みは、国際社会でも深い敬意を持って受け入れられているのが現状です。

さて、ここで登場する「大嘗祭」という言葉。これは新天皇が即位後に初めて行う一世一代の重要な収穫祭であり、宗教的な性格が非常に強い儀式です。ランダース氏は、この儀式のあり方について、アメリカが長年抱えてきた「政教分離(せいきょうぶんり)」の課題と共通する点があると鋭く指摘しています。

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アメリカの歴史に見る「宗教と公金」の難問

政教分離とは、国が特定の宗教を支援したり、特権を与えたりすることを禁じる原則を指します。アメリカでは18世紀末の憲法修正第1条によってこれが定められました。しかし、現在でも大統領が就任式で聖書に手を置くなど、公共の場における宗教的表現の是非は、2019年現在の米国社会においても絶えず議論の的となっています。

注目すべきは、儀式にかかる費用の調達方法です。秋篠宮さまが、国費ではなく皇室の私費を充てるべきではないかと提案されたことは、多くの日本人に衝撃を与えました。ランダース氏によれば、米国大統領の就任行事も批判を受けて現在は寄付金で賄われていますが、これはこれで「寄付者への見返り」という政治腐敗のリスクを孕むといいます。

私は、この問題に正解はないと感じます。伝統を「国の形」として守るために税を投じるのか、個人の信仰の自由を優先して私費で行うのか。どちらに転んでも課題が残るからこそ、日本独自の文化と近代民主主義の調和点が模索されているのでしょう。SNSでの活発な意見交換も、民主主義国家として健全な姿だと言えるはずです。

科学者でありながら敬虔なキリスト教徒である米国のエリート層のように、上皇さまが科学者としての顔と神道の伝統を両立させていた姿は、海外から見ても決して矛盾するものではありません。大嘗祭という古の儀式を通じて、私たちは国家、宗教、そして伝統の未来を改めて見つめ直す時期に来ているのではないでしょうか。

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