岩手県釜石市は「鉄と魚とラグビーの街」として知られ、2019年ラグビーワールドカップ(W杯)の舞台にもなりました。この情熱あふれる街で、長年「製鉄マン」たちの胃袋を支え続けてきたのが、琥珀色に輝くスープが美しい「釜石ラーメン」です。SNSでは「これぞ究極のシンプル」「極細麺の喉越しがたまらない」と、その繊細な味わいに魅了される声が後を絶ちません。
釜石市民ホールのほど近くに構える「新華園本店」は、午前11時の開店と同時に活気に包まれます。運ばれてくる一杯は、透き通ったスープに極細の縮れ麺が泳ぐ、まさに王道のビジュアルです。一口啜れば、優しくも深い醤油の旨みが口いっぱいに広がります。この味の秘訣は、鶏ガラと「ゲンコツ(豚の大腿骨)」を別々の鍋でじっくり煮込み、提供時に合わせる「ダブルスープ」という手法に隠されています。
製鉄マンの多忙な日々が生んだ「スピードの極細麺」
釜石ラーメンの独特なスタイルが確立されたのは1950年代半ばのことでした。当時の富士製鉄(現在の日本製鉄)釜石製鉄所では、24時間体制の3交代勤務で多くの労働者が働いていました。彼らが仕事の合間に素早く食事を済ませられるよう、わずか数十秒で茹で上がる「極細縮れ麺」が採用されたのです。忙しい男たちのために「待たせないこと」を追求した結果生まれた、優しさの形とも言えるでしょう。
「お食事ハウスあゆとく」の店主も語るように、かつて製鉄所の社宅が立ち並んでいた時代、このスピード感は欠かせない要素でした。また、過酷な肉体労働を終えた体には、重たい脂っこい味よりも、繊細でスッキリとした「あっさり味」が最も好まれたそうです。時代背景が生んだ機能美ならぬ「機能味」が、今もなお受け継がれていることに、私は深い歴史の重みを感じずにはいられません。
幾多の困難を乗り越え、地域の絆を繋ぐ一杯へ
しかし、街の歩みは平坦ではありませんでした。1970年代後半の不況による「鉄冷え」や、2011年3月11日の東日本大震災という未曾有の困難が街を襲います。津波によって多くの店舗が流失し、大切な仲間を失うという悲劇に見舞われました。それでも、震災後の2011年11月には「釜石ラーメンのれん会」が正式に発足し、30店舗が手を取り合って伝統の味を守り続けています。
2019年8月には、被災した鵜住居地区で営業していた「こんとき」が新たな店舗を構えるなど、復興の足音は着実に響いています。直近では2019年10月の台風19号による被害もありましたが、釜石の人々は不屈の精神で立ち上がってきました。一杯のラーメンには、ただの美味しさだけでなく、困難に立ち向かう人々の誇りと、次世代へ繋ぐ希望が凝縮されているように思えてなりません。
現在、市内では約30店舗が切磋琢磨しながら、それぞれの個性を競い合っています。昔ながらの味を守る店もあれば、トッピングに工夫を凝らす店もあり、訪れるたびに新しい発見があるでしょう。震災や不況を乗り越えた「釜石ラーメン」は、単なるご当地グルメの枠を超え、街の再生を象徴する「滋味」溢れる宝物へと進化を遂げています。ぜひ現地で、その温かな歴史を味わってみてください。
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