【万博の仕掛け人】橋爪紳也氏が語る「生きた建築」の魅力とは?空間演出から紐解く大阪万博の精神

1980年4月1日、京都大学工学部建築学科へ入学した橋爪紳也氏は、当時から周囲とは少し異なる感性を持っていました。建築デザイナーを目指して門を叩いたものの、白い紙へ定規で均一な線を引く作業に強い違和感を覚えたそうです。本来、自由な創造を求めていた彼にとって、既存の枠組みは少し窮屈だったのかもしれません。

そんな橋爪氏が心惹かれたのは、工学と歴史文化が交差する領域でした。当時の建築界では神社仏閣といった格式高い建造物が評価の対象でしたが、彼はあえて民家やダムに沈む集落、伏見の町家といった「人々の営み」が刻まれた場所に光を当てたのです。この視点の転換こそが、後の「万博ハカセ」としての原点と言えるでしょう。

転機となったのは、ディスプレイデザインの大手である乃村工芸社の社史編纂に携わったことです。仮設の展示は記録が残りにくいものですが、彼は絵はがきやチラシといった断片的な資料を執念深く収集しました。正解のない中で全貌を解き明かす研究の醍醐味に、この時初めて触れたのです。

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「看板や家具」こそが建築に命を吹き込む

大学での教育は「真っさらな建物」を理想としますが、橋爪氏の考えは正反対でした。店舗に看板が掲げられ、住宅に生活の道具が並んで初めて、建築は生き生きとした輝きを放つと確信したのです。こうした「付加的な装飾(ディスプレイ)」にこそ本質が宿るという独自の哲学が、彼を新しい空間演出の道へと駆り立てました。

その後、1970年大阪万博の中核を担った上田篤教授のもとで学び、博覧会や遊園地、盛り場といった「人が集う空間」を一生の研究テーマに据える決意を固めます。ここで彼は、岡本太郎氏が提唱した「対極思想」に出会います。丹下健三氏が設計したモダンな大屋根を、原始的な「太陽の塔」が突き破るあの光景は、相反するものが共存して高め合う美学の象徴だったのです。

若き日の橋爪氏は、都市計画に観光や集客の視点を盛り込むべきだと主張し、当時は「若造の意見」とあしらわれることもありました。しかし、京都精華大学や大阪市立大学での教鞭を経て、その斬新な視点は次第に現実の政策や事業へと反映されていくことになります。

SNS上では「建物だけじゃなく、その中の賑わいまで愛する視点が素敵」「万博のワクワク感は、こうした仮設建築の情熱から生まれるんだ」といった共感の声が多く寄せられています。整然とした美しさだけでなく、混沌としたエネルギーをも包み込む彼の都市論は、次世代の街づくりに不可欠な視点ではないでしょうか。

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