マチュピチュの絶景とアスリートの哲学。為末大が空中都市で問い直す「なぜ走るのか」という原動力

切り立った断崖の先に突如として姿を現す、インカ帝国の神秘的な空中都市。2019年12月1日に公開された本稿では、元陸上競技選手の為末大さんが、標高2400メートルを超える高地にそびえ立つ世界遺産マチュピチュを訪れています。眼下に広がる荘厳な石造りの都市を見つめながら、彼はふとした疑問を抱きました。それは、これほどまでに過酷で危険な場所に、なぜこれほど大規模な建築物を造る必要があったのかという、人類の根源的な好奇心です。

この「なぜわざわざ困難な道を選ぶのか」という問いは、奇しくも為末さんが現役時代に幾度となく投げかけられた「なぜ走るのか」という質問に酷似しているといいます。論理や効率だけでは説明がつかない領域にこそ、人間の情熱が宿っているのでしょう。SNS上でもこの内省的な視点は共感を呼び、「限界に挑む者の孤独な視点が重なる」といった、アスリートのストイックな姿勢に感銘を受ける声が数多く寄せられています。

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モチベーションの変遷と、その先にある研ぎ澄まされた衝動

競技者が走り続ける理由は、時期によって変化していくものです。キャリアの初期段階では、勝利による賞金や知名度の向上、あるいは自分の才能が開花する高揚感といった、多様な要素が入り混じっています。これを心理学用語では「外発的動機付け」と呼び、周囲からの評価や報酬が行動のガソリンとなります。しかし、長い競技生活の終盤に差し掛かると、そうした表面的な報酬だけでは、日々の厳しい練習や身体的な苦痛を乗り越えることは困難になります。

為末さんは、キャリアを重ねるにつれて動機はより先鋭化し、純粋なものへ削ぎ落とされていくと語ります。それはもはや名誉のためではなく、自分自身の内面と対峙するような深い衝動に近いのかもしれません。私は、この「理由を超えた行動」こそが、マチュピチュという奇跡の都市を築き上げた古代の人々と、トラックを駆け抜けるアスリートを繋ぐ共通項だと強く感じます。便利さを追求する現代社会において、あえて困難に挑む姿は、私たちの心に強く響くのです。

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