1970年代、TDKが独自開発した高性能磁性材料「アビリン」を冠したSAカセットは、その圧倒的な音質の良さでまたたく間に世界市場を塗り替えました。この成功は海外の投資家からも熱い視線を浴びることになります。当時30代前半だった澤部肇氏は、財務担当役員の神谷克郎氏に同行し、欧米の投資家を巡る貴重な機会を得ました。一流の振る舞いを間近で学びながら、未知なる金融市場の深淵に触れた経験は、その後の彼の経営人生において計り知れない財産となったのです。
当時のTDKは時価発行増資を繰り返していましたが、世間からは配当の仕組みについて厳しい批判を受けていました。そこで澤部氏は、後に「三国インデックス」で知られるようになる三国陽夫氏を訪ねます。そこで授けられたのが、当時の日本では耳慣れない「ROE(自己資本利益率)」という指標でした。これは、株主から預かったお金を使ってどれだけ効率的に利益を上げたかを示す、まさにグローバルスタンダードな物差しです。負けず嫌いな澤部氏は、この先進的な概念をすぐさま経営目標に組み込みました。
「3バカ大将」と揶揄されたニューヨークでの苦闘
1979年に日本経済新聞の優良企業ランキングで2位に輝いたTDKでしたが、澤部氏は周囲の浮かれた空気に危機感を抱いていました。さらなる高みを目指し、彼は米国格付け機関の権威、ムーディーズの本拠地へと乗り込みます。しかし、英語もおぼつかない3人組での訪問は、後に自虐を込めて「3バカ大将」と回想するほど散々な幕開けでした。冷ややかな空気が流れる中、当時流行していた小説『将軍』の話題でかろうじて場を和ませ、現地の社員を動員して再度の面談に漕ぎ着けたのです。
当時のTDKはROE20%という驚異的な収益力を誇っていましたが、ムーディーズの評価は「シングルA」という、期待を裏切るものでした。彼らから突きつけられたのは、人材育成の遅れや国際感覚の欠如、そしてカセットテープ事業への過度な依存という、耳の痛い本質的な課題です。この報告を受けた当時の社長、素野福次郎氏は当初「金を使って何をやってきたんだ」と激昂しました。しかし、この厳しい指摘こそが、TDKという企業の魂に火をつけることになったのです。
素野社長が放った「世界のルールで勝負しよう」という一言は、まさに歴史が動いた瞬間でした。単なる国内の優良企業で終わるのではなく、ニューヨーク証券取引所への上場という、当時の日本企業にとっては極めて高い壁に挑む決断が下されたのです。SNS上でも「今の日本の経営者にこそ、この気概が必要だ」「3バカ大将からの逆転劇が熱すぎる」といった称賛の声が上がっています。本質を見失わず、世界一を目指した彼らの挑戦は、現代のビジネスシーンにおいても色褪せない輝きを放っています。
コメント